映画は栄華を極めたか【映画】 2000.5.15

マイ映画ベストテン

2001年宇宙の旅 メロディ
ウェストサイドストーリー 南太平洋
初恋 時計じかけのオレンジ
さらば友よ

ブロンソンが飛び、猿がこん棒を大空に投げ、「クール!」と叫ぶ。
甘い「バリハイ」の歌声が響いたと思えば、狂気のナイフが「雨に唄えば」を口ずさむ、と同時に金魚売りに見入っているイギリスの少女がほほ笑む。

何が何だかわかりませんが (笑)、これらは、何10回も見た「私の映画ベストテン」です。古いタイトルばかりで恐縮です。
水野晴男ではありませんが、「いやぁ、映画っていいですよね」と思わずつぶやきたくなる気持ちは良く分かります。

さすがに、コンサルタントとして多忙な今、余暇の時間がないのでかつて年間150本の映画を観た私も、今ではせいぜい年間5〜6本がいいところです。救いは、そのすべてを映画館で観たということくらいでしょうか。

現在の日本人の映画鑑賞平均本数の1.2回の4倍を観ているとはいえ、見逃して悔しかった作品がたくさんあります。平成ゴジラはモスラから止まったままですし (笑)、なんとスターウォーズ・エピソード1も観ることができなかったのが心残りでしょうがないのです。

かといって、古い映画ファンですから、ビデオ映画はどうしても物足りない。プレミアム料金を払ってでも良いから映画館で上映してくれないかと願うばかりですが、できる相談ではないでしょうね。

私事ばかりで恐縮なので、データをご覧頂きましょう。
皆さん感動の作品があるでしょうか。

1999年興行成績ベスト5(百万円)
1位 アルマゲドン

8,350

2位 スター・ウォーズ エピソード1

7,800

3位 マトリックス

5,000

4位 シックス・センス

4,300

5位 ポケットモンスター
幻のポケモン・ルギア

3,500

1998年興行成績ベスト5(百万円)
1位 タイタニック

16,000

2位 踊る大捜査線 THE MOVIE

5,000

3位 ディープ・インパクト

4,720

4位 ポケットモンスター
ミュウツーの逆襲

4,150

5位 メン・イン・ブラック

3,500

映画は私たちに勇気を与えてくれます。ほっとした時間をくれます。ハラハラ、ドキドキの興奮を見せてくれます。人の喜怒哀楽に直結して刺激する。これが映画です。

また映画は総合芸術とも言われます。
視覚だけでなく、聴覚や場合によっては触覚まで刺激するからです。最近の技術革新でディズニーランドのように、体感させるアトラクションもありますが、120分もの長時間、別世界に連れていってくれるのは映画だけです。

映画の人気は世界的なものです。
主役はアメリカですが、ほとんどの国で映画が作られています。
日本では早くから人気が出たのが香港。最近では韓国映画「シュリ」が日本で大ヒット。
そして、「踊るマハラジャ」で一躍メジャーになったインドは隠れた映画大国でもあります。絶対数が全世界の1/6にも当たる10億人というせいもあります。中近東でも出稼ぎ人口が多いインド人向けにインド映画専門館があるほどです。

これほどまでに親しまれている映画ですが、その割に見返りが少ないのもまた映画です。日本の映画観客動員数は年々減ってきており、1958年の11億2,000万人をピークに現在はその1/10の1億2,000万人しか確保できていません。
数字だけを見ると典型的な衰退産業。それが映画なのです。

もちろん、映画の人気が落ちたわけではありません。テレビの映画番組の視聴率は好調ですし、 CATV や衛星放送の目玉は映画です。
映画館での映画が不調なのです。
1960年の7,400館をピークに現在は1,800館。1/4です。

今回はそんな映画産業の中でも特に落ち込みが激しい邦画にスポットを当てて、なぜ映画産業が衰退してしまったのか。その原因を探ってみました。

低予算という壁

日本の映画の弱み、いやアメリカ映画以外の弱みは、市場規模が小さいことだと言われています。アメリカ映画は世界に輸出されるので、その売り上げを前提にして製作費をかけることができます。しかし、日本映画は一部のアニメを除き、日本市場にしか流通できない。だから、勢い製作予算が限られてしまう。

予算が少ないと何故おもしろいものが作れないのか。
最近意外な大ヒットを記録した「ブレアウィッチ・プロジェクト」は低予算で有名です。
また、トム・クルーズやメグ・ライアンなどハリウッド映画の主役の出演料が30億円や40億円などという日本での歴代ヒット映画の売り上げと同じ水準だと聞くと、有名あるいは人気のある俳優や女優が出演しているからといって、おもしろい映画とは別物である気がします。

だから、一見予算と面白さは関係がないように思えます。
しかし、予算がない映画の典型であるアダルトビデオを見るまでもなく、映画の予算とは脚本と取り直し(そして編集)に大きく左右されるのです。

映画は一部の作品を除き、ストーリーが重要な要素であることは議論の余地はないてしょう。予算がない場合はギャラの安い脚本家に頼らざるを得ない。また、脚本の練り直しなどに時間をかけることもできません。
アメリカの大作映画では、映画製作にマーケティング手法を利用するのはほぼ常識化しています。それらの調査の中でも最も時間をかけるのが脚本なのです。
予算が潤沢にある作品ならではの金のかけ方です。

2つ目の「撮り直し」とは何か。
黒沢明はこだわりの作品作りで有名です。
彼は、自分が気に入った天候でないと、待機・待機で、結局撮影をしないままロケ地の宿泊所に戻ってきてしまいます。

すると何が起きるか。
カメラマンや照明などのスタッフはもちろん、俳優しかも主役級ですら、その日は何もしない。しかし、人件費だけは嵩みます。
撮影をしないということは、タダで給料やギャラを支払うようなものです。黒沢クラスになると、1日2,000万円は当然の如くふっ飛んでしまいます。

この例を見るまでもなく、NGの連発は無駄になった時間やフィルムを含め、すべて製作費に関わってきます。つまり、予算が少なければ少ないほど、監督が納得が行かなくてもそのシーンは採用しなければならない。シーンひとつひとつの質が下がるというわけです。

余談ですが、誤解を避けるためにひとつお話します。
予算がたくさあれば面白い作品が作れるという短絡的なものではありません。
例えば、1秒あたりの製作費が最も高いのは黒沢映画ではなくテレビ広告です。
30秒の広告を作るのに平均2,500万円。資生堂やトヨタなどの「一部上場企業」クラスだと5,000〜8,000万円。10年ほど前に話題になったいすず自動車のパリで曲芸をする自動車の広告は1本で1億3,000万円でした。

つまり、2時間分で120〜200億円もの製作費が掛かるのと同じです。
トヨタの広告すべてがすべて面白いわけではありません。
資生堂の広告はきれいではありますが、感動するストーリーが用意できるかどうかは別物です。

日本の人件費は今や世界一高額です。
広告の分野では、下手に国内ロケで日本人スタッフを使うくらいなら、ディレクターとプロデューザーなどの中心メンバーだけがアメリカに渡り、モデルやカメラ、グリップ(照明)などのスタッフを現地アメリカ人で固めてしまったほうが安上がりになることもあります。

私のクライアント時代の経験でも日本で外人モデルをオーディションするのと、ニューヨークに集結しているモデルを集めてオーディションをしても金額は変わらないことがままありました。しかも、アメリカの方が豊富な人材から選べるので、モデルのクオリティが上がることを何回も経験しました。

つまり、日本での映画製作は他の国で行うよりも高額になり、その分質が悪化するという悪循環になっているのです。

競争相手の認識不足 - 映画館という名の品質

映画の衰退。その直接の原因はテレビであることは広く知られています。
かつて、1964年の映画の輸入自由化を期に、洋画と邦画が熾烈な争いをしているうちに、新興勢力であるテレビが客を取ってしまった。当時の映画業界の人たちが、自分たちが戦うべき市場は「映画である」と狭くしてしまったために、それ以外のテレビという映画から見れば「異質のもの」にシェアを喰われてしまった訳です。

自動車が海外旅行に市場を喰われてしまうようなものです。映画はテレビを競合として、まったく意識していなかったのです。
これは、一見、違うものが同じ市場で戦う相手になる、「市場際」の例として私が良く使うものです。このメールマガジンでも、過去に「モバイルギア」「iMac」などでこの考え方を紹介しました。

この点については説明するまでもありません。
テレビが受信機さえ買えば無料で映像やドラマを楽しめるのに対して、映画はお金を払わなければならない。しかも、テレビは自宅にいるままなのに、映画はわざわざ外出しなければならない。

映画が不利なのは一目瞭然でした。しかし、何も手を打ってこなかった。
これが、映画衰退の原因の大きなひとつだというわけです。

映画とレンタルビデオの関係も似ています。
両方とも料金がかかりますが、レンタルビデオが420円に対して映画は1,800円。4倍もの価格差があります。

私のように、映画館という場で大きなスクリーンでないと映画を見た気分にならない客は、その金額差に意味を見いだします。しかし、大スクリーンも21インチのテレビ画面も変わらないと考える人たちにとっては、むしろ映画館は邪魔な存在です。

●狭い
●見ずらい
●汚い
●自由な姿勢ができない(例えば、寝転がれない、大きな声で同伴者と話せない)
●他のことができない
●飲食の価格が高い

これらのポイントをすべてご紹介するスペースがありませんので、「狭い」点だけを上げてみます。

「狭い」とは、座席の幅が狭くて窮屈であることを差しています。
また、前の座席の客の背が高かったときにスクリーンが見えなくなってしまったり、前の客の首が右左に振ると、スクリーンを見るためにこちらも仲良く首を振らなければならないということは従来の映画館では良くあることでした。

その原因は、映画館全体の傾斜が足りないので、前と後ろの座席からスクリーンへの視線が一致してしまうからです。また、天井までの高さが足りないためにスクリーンを高い位置に設置できず、同じく前後の座席からの視線が一致してしまうことも原因のひとつです。

このいずれも、映画館として十分なスペースを用意せず、「とにかく客を詰め込むだけ詰め込んでしまえ」という商売上の発想だけで、映画館を考えていたことのツケが回ってきた格好です。

改善されつつある映画館だが

実は、この映画館対策(別な言い方をすれば映画の流通戦略)は、近年目覚ましく改善されてきています。特に郊外型の新規に登場したシネマ・コンプレックスまたはマルチプレックス(大小の映画館を複数用意する施設)で顕著です。

●狭い・見ずらい
例えば、椅子の幅を従来より20%以上広くする。これは、今までの座席が昔の日本人のサイズに合わせて、かつできるだけ詰め込もうとした結果、現代人の体型に合わなくなったのを見直そうとする動きです。

また、前の客が邪魔になる問題について、後述するシネマコンプレックスでは、かなり回避するようになっています。特に、200席程度の小さなハコでは、傾斜をきつくして、座席を互い違いに配置することで、前の座席の客の間からスクリーンを眺めるように改善されています。

この方法は30列の座席を持つ中規模の映画館では30人もの客を見捨てることになり、販売機会を逃すために、なかなか踏み切れない方策でした。いや、第一、映画館の経営が悪化している以上、改装などという新たな大きな投資ができない事情もあります。

皮肉なことに、どの道、客で満杯になることが少ない現状ですから、30人くらい収容人員か減ったところで、現状に変化はない。むしろ、それで客が増えてくれれば結果的に得をするとの計算が、シネコンの改善に繋がったと考えたほうが正解でしょう。

それから・・。これだけでした。
映画館対策といっても、「ちょっとゆったりと座って観られる」だけ。
寝転がって観られる2〜3人分サイズのソファタイプの座席がある訳でもありませんし、騒ごうが携帯電話を使おうがお構いなしのガラス張りのボックス席があるというのでもない。

あえて言えば、例えば恵比寿ガーデンプレイスの映画館がコンビニやスーパーでは手に入らない輸入ワッフルや菓子を扱っている程度です。
ビデオ対策にはまだまだ遠い改善でしかなかったのです。

シネコンという新しい息吹

さて、衰退する一方の映画業界で良く言われるのは、大作主義に対する反省です。
映画製作ではありません。映画流通の話です。
大作映画ばかりを追いかけ、多くの映画館で一気に上映しようとする。しかし、観客数がそれに見合った数とは限りません。いや、見込みと外れることのほうが多いのです。
すると、渋谷パンテオンのような1,000席クラスの映画館では、がら空きという事態が起こります。

要するに彼らの反省は、何でもかんでも大作として多くの、そして大きな映画館で上映するのではなく、身の丈にあったサイズの映画館で、少数からスタートしようというものです。

それには2つの方向があります。
1つは映画館の大きさを調整しようとするもの。もうひとつは映画館の数を調整しようとするものです。

1,000席クラスの映画館を作るなら、500席と350席そして150席の3つの映画館を作る。客が見込めるような作品なら、それぞれの映画館すべて同じものを上映すれば良いし、堅実な作品なら350席の、一部のマニア向けなら150席のハコで対応しようというものです。

例えば、東京渋谷の渋東シネタワーは4つの映画館に分割されていますが、大きさはすべて異なります。

渋東シネタワー1 610席
渋東シネタワー2 825席
渋東シネタワー3 346席
渋東シネタワー4 252席

こういった方法だと、1つの作品を長く商売にできます。
ある映画を825席の映画館で上映する。2〜3週間も興行を続けていると、観客数は減ってくるのは当然です。従来は、観客が減っても期限までは上映しなければならない。これが赤字の原因ひとつです。

1回の興行で300程度しか入らないと見極めれば、上の階の346席の映画館に作品を移し、825席のハコには新作を放り込む。825席のオオバコでは赤字でも346席のハコなら十分すぎる程の利益が出るというわけです。

ちなみに、この考え方はアメリカで考案された「シネマ・コンプレックス(シネコン)」と呼ばれ、ショッピングセンターなどに併設される映画館など、数多く出現しています。
その第1号は1993年の神奈川県海老名市「海老名サティ」というショッピングセンターに開設された「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」と言われています。

もうひとつの方法は、1作品1館でも利益がきちんと出ればいいではないか、とするものです。人気が出たら、ハコの数を増やせば良い。そうでなくても、ロングランとして、長く続ければ良い。

「単館ロードショー」の成功が発端となりました。
シネセゾン渋谷(221席)や東急文化村内のル・シネマ(150席、126席)などの小さな映画館はそうやって生まれたものです。
上映作品も工夫します。アメリカのメジャー作品ではなく、フランスやイタリアなどのマニアックなものを厳選する。観客の数は少ないかも知れないけれどファンが多い作品です。

正直言えば、150席などという映画館は、私の感覚では映画館ではありません。
どこかの博物館の VTR 上映やちょっとした企業内の大会議室のようなもので、映画館の醍醐味はありません。

ちなみに、実はこの考え方は決して新しいものではありません。
1970年代の前半くらいまでは、「二番館」「三番館」といった映画館があったのです。ロードショーが終わり、数ヶ月たつと二番館が半額くらいの入場料で上映する。三番館はそれよりももっと安い金額で2本立て、3本立てで上映するという構造です。名画座はもっともっと古い作品を担当するという具合です。

年間150本もの映画を高校生のこずかいでなんとか見られたのは、これら二番館、三番館のおかげです。例えば、渋谷東急は恋愛ものを中心に上映する二番館でした。1本しか上映しないで当時150円。その近くの現在カメラ量販店があるビルは地球座という三番館。3本立てで100円という入場料でした。ロードショーが1,000円くらいの頃の話です。
ご想像のとおり、これらはすべてレンタルビデオショップに置き換えられてしまいました。

勉強をしない産業は衰退するだけ

なぜ、こういうことが起きるのか。
1つは映画業界が需要予測のノウハウの勉強をまったくしていない前近代的なビジネスだからです。アメリカのようにマーケティングを応用するわけでもない。

本来試写会はその格好の材料となるはずのものです。
しかし、現状はマスコミに評価記事を書いてもらうための販促活動にしかなっていません。アンケートを取ることもあります。しかし、あの質問票ではまともな動員予測などできるデータが整うはずもありません。

試写会の情報を活用して成功したのは「氷の微笑」くらいなものです。
ちなみに、この映画は当初サスペンスものとして男性向けの映画として位置づけていました。しかし、試写会後のアンケート集計の結果、女性に人気があることがわかり、女性向けの作品として路線を変更したのです。

具体的には、ポスターのデザインを変更、女性誌などを中心にパブリシティを展開したり、テレビや雑誌などでは女性の立場からの記事内容にしてもらうことで、大ヒットに繋げることができた珍しい作品でした。

いずれにしても、縮小均衡にしか行き着かないハコの縮小化に力を入れるくらいなら、観客動員をど増加させるかに頭を使う方が、よほど健康的な業界育成になるはずです。
このままでは、映画(館)は一部のマニア向けの施設として特殊扱いされるだけだからです。

逆に言えば、観客拡大という発想をあきらめ、せめて赤字体質の映画業界をなんとか立て直そうということしか考えられないくらいに、追いつめられているとも言えますが。

映画館を含む映画業界の低迷のひとつは作品の質ですが、もうひとつ大きな原因があります。流通業に当たる配給会社です。
映画の流通は東宝と東映そして松竹系が牛耳っています。日本では洋画だろうが邦画だろうが、映画館で上映しようとすると、これらの系列の映画館を使わざるを得ません。

昔は配給会社と製作会社は一緒のものでした。東宝の映画館で上映されるのは、東宝が作った作品です。それが、1970年代に入り、石原プロ、円谷プロなど製作会社が映画を製作し、配給会社は映画館で上映するだけという作品が増えてきました。現在は、「つりバカ日誌」などの人気シリーズの他数本が配給会社の手によるものという状況です。

これ自体はなんら特別なことではありません。
例えば、テレビも制作会社による番組が8割以上もあるし、雑誌についても編集プロダクションと呼ばれる製作会社の記事が、ある雑誌の90%も占めるという例もあります。もっと言えば、スーパー、コンビニとメーカーの関係も同じです (OEM や製造会社と販売会社が別々という商品も含めて)。

しかし、決定的な違いが1つあります。
スーパー、コンビニは自分のフランチャイズ店でどう商品を売るのかを自分たちなりに一生懸命に考えます。客導線、ディスプレイ理論、インストア・マーチャンダイジングなどの専門用語が示すように、自分たちの「流通業」としての役割をきちんと果たすことに力を注いでいます。

雑誌も自分たちの雑誌をどう売るか、どういう雑誌にするかなどを考え、書店などの販売促進や流通対策は雑誌社の仕事です。

映画配給会社は、単に映画を配給つまり映画館で上映する手続きをするだけです。
映画館への観客動員をどう促進するか、映画鑑賞時の観客の心理状況を踏まえて、どのように顧客満足度を高めるかなどの基本的な研究はほとんど皆無です。

せいぜいが、テレビ広告を打ったり、ポスターを作ったり、雑誌などのマスコミで取り上げられるように画策する程度です。しかも、マスコミ対策以外はほとんど「やった」という程度。ポスターは作ってもせいぜいが数1,000枚。そのほとんどが映画館での掲載です。それ以外にポスターを掲出するつまり告知するような活動はないに等しい。

この程度なら人脈さえあれば誰でもできることです。
配給会社として胸を張るようなことでも何でもありません。
先に挙げたシネコンなどの発想も、配給会社が研究した結果ならまだしも、これらの施策はすべて商業施設開発の側の努力です。
配給会社は完全なスペースブローカーなのです。

映画を見放した映画産業

なぜこんなことが起きたのか。
理由は簡単です。
配給会社は一方で有数の不動産会社でもあるのです。
全国の直営映画館や過去にそうだった土地を管理する不動産会社です。

ご存じのとおり、かつての映画館は駅前の一等地にありました。映画産業の不振とともに、その多くは業態変換をしました。今でも、ボウリング場やサウナ、飲食店ビルなどに「東宝ビル」などという名前がついていますが、あれです。

配給会社とは名ばかりで、その実、不動産業務による収入は全体の売り上げの90%近くを占めているのです。
そう、文字どおり寝転がっても飯が食える。

ある特殊技術の技術者が不動産部門の管理者から、こう言われて、映画産業がイヤになり、パビリオンなどの内装設計企画事務所として独立したという人物も実在します。

「この会社は俺達で保っているようなものだ。映画なんてゴミだよ。ゴミ。だから、そんなにしゃかりきになって『いい映画を作ろう』なんて頑張ったところで、失敗してもたかが知れているし、成功したって我々の1日分の収益にしかならない」

この言葉がすべてを物語っています。
映画産業の中心となるべき配給会社が映画になど関心がない。
社員が幾ら映画が好きでこの会社に入ったとしても、いくら個人が頑張ったとしても、経営陣にその情熱がない限り、観客動員が増えることは不可能です。
映画会社は元々他の産業と比べて「映画が大好きでしようがない」という人材の集まりです。それでさえも、会社経営には影響を与えない。

日産のゴーン氏のインタビューで

「日産の経営陣にはクルマが好きな人がいない。これが日産の最大の弱点の一つである」

と発言しましたが、まったく同じことが映画産業にいえるのです。

映画産業の衰退は実は生活者のニーズに応えることを放棄した映画産業、配給会社のなれの果てだったのです。

清貧という名の人材流出

「森さん。いくら豪華で居心地が良い映画館でも、作品が面白くなければ行きませんよ」

正解です。
実はもうひとつ、配給会社の罪があります。

観客からの入場料は、映画館、配給会社、そして製作会社が山分けをします。
その時、映画製作会社は配給会社と観客数に応じた売り上げ配分をするわけではありません。

まず、映画を配給するために一定の金額を配給会社に支払います。その上で、観客一人あたりの売り上げ配分するのです。また、配給会社の土地ならば映画館は配給会社に賃貸料を支払います。
配給会社は左右から利益を得る仕組みです。そして、観客動員からも利益が得られる。

ロードショー1,800円という収入は同じです。
配給会社が利益を取れば取るほど、快適な鑑賞を約束する映画館、そして楽しい作品を作るはずの製作会社への取り分が少なくなります。

製作会社への利益が少なくなることは製作予算が少なくなる。
すると冒頭でお話ししたように「良い映画」が作れなくなってしまうのです。
それだけではありません。
映画製作に関わる人材の問題が生じます。

最近、北野たけしや秋元康などのテレビで成功した人間が映画界に進出しています。これ自体は良いことですが、その動機にポイントがあります。例えば、秋元康の言葉を借ります。

「映画は私にとって憧れの映像芸術です。しかし、映画ではメシが食えません。テレビで成功し、生活の心配がなくなった今こそ、ようやく映画の仕事ができるようになりました」

この言葉をもって、

「やはり映画は映像関係者の頂点に立つ最高の芸術分野だ」

などと、おめでたい発言をした人たちもいました。
確かに、映画はプレステージの高い産業です。映像の好きな人間は必ずといって良いほど、映画に憧れ、映画が好きな人たちです。

しかし、ここで最も重要なのは「映画ではメシが食えない」という一言です。
秋元康が才能があるかどうかの話は全く別にして (個人的には、はなはだ疑問ですので)、本来面白い映画を作ることができる能力のあるハズの人間が、映画から流出する、映画に流入しない。そんなことが実際に起きているのです。

残った人間は、やる気と愛情だけは人一倍。安い給料と過酷な労働条件をも厭わない。でも、面白い作品を作ることができなくなっている。また、映画でメシが食える一部の人間が、そういった安い労働力や才能をそのまま使う。「映画でメシが食えないのは当たり前だ」とばかり、ギルド的な組織でこじんまりまとまってしまう。

これで、大衆が面白いと熱狂する作品を作れという方が無理な話です。
映画は労働集約型の産業です。インターネット業界のように1人の天才プログラマがいれば良い業界ではありません。人材と人材を動かす予算。この肝心な2つが揃っていない業界に、良いものを作れという方がかわいそうです。

一方で、フジテレビなどのテレビ業界が映画製作を担当するケースも見られます。主に、テレビ番組の映画版の作品ですが、オリジナル作品も数多く排出しています。ところが皮肉なことに、これらの能力がこと映画となると妙に歪んでしまうのです。

テレビではありえない、長い長いロングショット。意味のない (意味が分からない) 心象風景など、同じスタッフが作ったとは思えないシーンが散見されるのです。

唯一の例外が、1998年に大ヒットを記録した「踊る大走査線THE MOVIE」。これの製作を担当したのは、テレビ広告制作で知る人ぞ知るロボットという独立系のプロダクションです。cdmaOneやキリン淡麗<生> のヒット広告を制作した設立14年目の若い会社です。今年は話題作「ジュブナイル」を製作しています。

私の古くからの友人が興した会社だという理由もありますが、彼の力量を大変評価しているので、新作も密かに期待しています。

「森さん。テレビ関係者にとって映画はやっぱり憧れなんです。テレビでは制約があるので、心象風景など難しいことはできません。でも、映画ならそれができると喜んでやってしまう」

ある関係者の発言です。

「映画は映像の頂点」

このプレステージの高さが、江戸時代に大衆文化だったはずの歌舞伎が一部の好事家のものになる原因になったのと同じ匂いを感じるのは私だけでしょうか。
少なくとも、観客である生活者は芸術としての映画に1,800円を支払っている訳ではありません。

泣いたり笑ったり。喜怒哀楽を表現して楽しませてくれる。それさえあれば、いいのですから。

いや、それが映画なのですから。

森サイン

この記事はいかがでしたか? 今後の参考のために教えて下さい。

かなりおもしろい ややおもしろい どちらともいえない
ややつまらない  かなりつまらないわからない

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