読者の声 : 2000.6.8号 (3/9)

励ましや、おしかりの言葉、ありがとうございます。

他の読者の方々の中にも、同じご意見を持った方がいらっしゃるかも知れません。自分の考えをまとめるための参考になる場合もあります。だから、「読者の声」は大事にしたいと考えています。
原則として、原文を掲載しています。新しい声から順番にご紹介しています。

それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。
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この色は皆さんの声 (お返事なし)

棚からぼたもちのおいしい商売【写真フィルム】 99.12.1 掲載

 <川瀬さん> 【類は友をよぶ】
        「かなりおもしろい」99.12.03

今回の記事を読んで、類は友をよぶ、というのを改めて感じました。
というのは私は28歳で、文中にでてきた河瀬さんとほぼおない年です。
でもコギャル系のファッションはしません。私の友人達もそういうコギャル系ファッションをする人はいません。

高校時代のクラス会、大学のサークルのOB会にいっても、やはりコギャル系のファッションの人はいません。もっと落ち着いた服装です。まえに「みんな」という言葉についての話しがありましたが、私からみると、「みんな、そんな格好はしないよ」となります。(もちろん、毎日の通勤で自分の周囲の人達が「みんな」でないことは充分承知していますけれど)

また、先日、市の体育館の個人開放で自分の出身中学(公立)の運動部女子中学生にたまたま出会いましたが、コギャル系の子は全然いませんでした。

今回のメールマガジンで女子高生、若い女性としていわれるタイプの人達は周囲もそういうタイプの人達ばかりで、全然タイプの違う個人の価値観で生活している人の周囲はやっぱり同じような価値観の持ち主だったりするのか、と思いました。

「友達にあって「久しぶり」と感じるのは、どのくらい会わなかったときでしょうか」というのは、私は1ヶ月です。この問題は、この問をみたときに想定している友達とふだん、どれくらいの頻度で会っているかどうかで相当左右されますね。

1週間くらいで「久しぶり」と思う人は、ふだん、2,3日おきくらいに友達に会っている人でないとでてこないと思います。だから、ふだんどれくらいの頻度で友達と会っているか、ということとの組み合わせで知りたいところです。

ただ、高島礼子の「先日はどうも」とこずえ鈴の「お久しぶりです」という風に同じことに対して、違う言葉を使うというのは2人の言語感覚の違いを如実に表していて、おもしろいです。

では。


【お返事】

> 今回の記事を読んで、類は友をよぶ、というのを改めて感じました。

近年(といってもここ15年くらい)そういう傾向が強いです。
つまり、社会・団体の価値観よりも個人・小グループの価値観が優先される。
それだけ、グループでまとまって、それが「常識」になる。だから、行動はグループ単位になってしまい、何千何万という数の価値観が存在してしまう訳です。

企業としてはそこまで細分化できないわけですから、それらをどうまとめて数個のグループまで数を減らすかに苦心します。
その分け方を間違えるとターゲットのミス設定になったり、商品がバラバラなまとまりのないものになってしまう。難しいものです。
だから、我々のようなコンサルタントがいるわけですが。

> 今回のメールマガジンで女子高生、若い女性としていわれるタイプの人達は
> 周囲もそういうタイプの人達ばかりで、全然タイプの違う個人の価値観で生
> 活している人の周囲はやっぱり同じような価値観の持ち主だったりするのか、
> と思いました。

そのとおりです。
写真を他人に見せるのは恥ずかしいという人たちや、写真を刹那的に使うことはない人たちも当然存在します。
では、今回のような若い女性は10人に1人かというと、これも違います。

正確な数字は守秘義務の関係で公表できませんが、少なくとも「無視できない」「消費者グループとして企業を動かすことができる」だけの割合(人数)です。
このメールマガジンでは、断り書きがない限り、常に「生活者の規模」を意識してテーマ設定をしています。
数が少なすぎると読者の共感は得られないからです。

ちなみに、記事中のアンケートの数字は、首都圏女子高生全体と考えて差し支えないでしょう。

> だから、ふだんどれくらいの頻度で友達と会っているか、ということとの
> 組み合わせで知りたいところです。

そこまでいうのであれば、私もお話ししましょう (笑)
「久しぶり」という感覚は、簡単に表現すれは次の公式です(学習、記憶、忘却をベースにしたオリジナル)

【一般的なケース】
久しぶり=(会わなかった期間 - 普段会っている間隔)
     x (相手に対する好意度・関心度)

     x(他人に対する依存度)

【若い人(女子高生など)に強く出るケース】
久しぶり=(会わなかった期間 - 普段会っている間隔)
     x (相手に対する好意度・関心度)
     x(他人に対する依存度)
     x (人と接触していることに対する安心感
       または接触していないことに対する不安感)

   【注】この公式は概念的なものですので、日数などの単位は無視してください。

正確に表現しようとすれば、嫌いなヤツでもインパクトの強い相手は比較的「久しぶり」と感じるので、上の
「相手に対する好意度・関心度」は
「好意度・関心度の絶対値(嫌いはマイナスで表現する)」
にすべきですが、どんどんややこしくなるので、このあたりでいつもは止めています (^^;

また、久しぶりという感覚は他人への依存度が高い人ほど強めに感じます。
「寂しがり屋」と解釈しても結構ですが。

今回の時間感覚は、この公式全体に関わってくる係数のようなものです。
話を単純化するために、時間感覚でしか説明しませんでしたが、本来はこの「依存度」や「不安感」も影響してくるのです。

 <酒本さん> 【「自分が生きた」という証拠】
        「ややおもしろい」99.12.03

「自分が生きた」という証拠を何らかの形で残すのに手っ取り早い方法が「写真」なのではないでしょうか。「仕事の成果」「読んだ本」「記憶」などもすべて「自分が生きた」ということをあとで振り返って実感できる証拠だと思います。

興味が現在に移ってきたことに加え、人間は何らかの形で「自分が生きた」ことを証拠として残したいと思うことが「女子高生が写真や手帳を使う理由」になるのでないかと感じました。

あるとき経験した事柄の価値がその場では消費しきれない、またはあとでも消費したいと感じたとき、人は何らかの形でその事柄を残そうとする(記憶が一番の証拠でしょうが、記憶は消えやすいので、その記憶を呼び起こすための媒体を必要とすることが多い)。

もちろん残そうとしなくても自然に残っていくもの(記憶・業績など)もあるでしょうが、なにか形として残したいと考えたときに、毎日同じような生活を送っている女子高生にとっては、やはり写真が丁度よいのでしょう。証拠が何も残らなければ、生きている理由がなにも感じられなくなってしまうような気がします。言葉足らずであまりうまく説明できませんが、私の気持ちを書いてみました。


【お返事】

> 興味が現在に移ってきたことに加え、人間は何らかの形で「自分が生きた」こ
> とを証拠として残したいと思うことが「女子高生が写真や手帳を使う理由」に
> なるのでないかと感じました。

同感です。
今回の記事は、その「年代に普遍な意識」を割愛して、彼女たち独特の点にスポットを当てました。
逆に言えば、「残す」という意識だけでは、あの写真文化は説明できない、という意味でもあります。

そして、もうひとつ。
一般的に「自分が生きてきた証拠を残す」意識は、年齢が上がってくるにつれて強くなる心理です。
逆に言えば、16才の彼女たちは「残さない」ことを意識する方が多いのが実体です。

例えば、「残さない」から援助交際もできるし、自分を痛めつけるようなガングロや髪が溶けるくらいに執拗に髪を染める。
そういう意味で言えば「人間は」という主語は、女子高生には当てはまらないことが多いのです。

誤解を避けるために付け加えますが、彼女たちはどちらか一方しか心理がないと言っているわけではありません。
同じ人間ですから、それら2つが混在しています。
ただ、「残す」「残さない」の、大人の比率と16才の彼女たちの比率はまったく違うということをお話ししているつもりです。

(ちなみに、女性として「きれいな時を残しておきたい」という心理はあります。いや、強いです。でも、これは酒本さんの言われる「生きた」証拠とは似て非なるものです)

 <山口さん> 【社会現象の根本にスポット】
        「かなりおもしろい」99.12.03

いつも読んでいます。社会現象の根本にスポットを当てた解説をされていると理解しています。コンサルタント業は素晴らしい感性を持ったものだけが出来る職業なのですね。

では文中から、
将来と現在の差があいまいになったら、興味関心が現在にフォーカスされるのは当然です。課長になっても部長に昇進しても給料は大して変わらず責任が増えるだけ、となったら、現在の平社員の生活をどれだけ楽しむか、充実したものにするかに関心が移るのとまったく同じです。

ベースアップという名のもとに給料が自動的に上がってきたのに対して、長い不況時代に突入して先行きが見えない不安の中、「バブルの頃は良かったな」と過去を振り返るサラリーマンや経営者と同じ心境です。

加えて、女子高生は将来への羨望も期待も想像もできないのですから、過去に点が当たるのも当然です。ちょっとした過去であっても「懐かしい」と感じるのは、将来に対して意味あるものが見つからず、単に「ばばぁになること」「女子高生というメリットが無くなること」に対する淡い恐怖感の裏返しと考えれば、40倍のスピード差も素直に納得することができます。
**********************************

女子高生を見ていると、バブル崩壊後リストラの大波に漂う労働者の状況と何も変っていないのですね。ツッパッテイル女子高生も、結構見直されてもいい存在です。見方を変えると可愛いですね。

中2〜高2までの女子が、廻りの状況に対して一番感受性が高いと言う事を聞いた事が有りますが・・・社会が暗い中で、先が見えると言うか、やはり女はタクマシイ。


【お返事】

> いつも読んでいます。社会現象の根本にスポットを当てた解説をされていると
> 理解しています。コンサルタント業は素晴らしい感性を持ったものだけが出来
> る職業なのですね。

お褒めのことば、ありがとうございます。
感性は訓練でかなり研ぎ澄ますことができます。つまり、コンサルタントは誰でもやろうと思えば、訓練次第で可能です。ただ、そのスピードの問題はあります。

> ツッパッテイル女子高生も、結構見直されてもいい存在
> です。見方を変えると可愛いですね。

同感です。
結局、彼女たちはいくらツッパっていても、16才の乙女なんです。
行動や言動には問題があったり、大人には(特に男性には)理解できないかも知れませんが、素直なんです。
ただ、その素直さが妙な方向に走ったり、大人がきちんとした対応をしないために、(素直なだけに)歪んだりしている。そう考えた方が辻褄が合うことが多いのが、あの年代です。

> 中2〜高2までの女子が、廻りの状況に対して一番感受性が高いと言う事を聞 > いた事が有りますが・・・社会が暗い中で、先が見えると言うか、やはり女は > タクマシイ。
感覚として最も感受性が強いのは14才の女子中学生です。
これは、五感の鋭さが他の年代を大きく離してダントツであることと無縁ではありません。
私たちが調査をする度に感じることでもあります。

 <依田さん> 【40倍のスピード差】
        「かなりおもしろい」99.12.03

40倍のスピード差は本当だった
以降の考察が少しひっかかりますが・・・


【お返事】

ごめんなさい。
意味がよく分かりませんでした。
あれからずいぶんと時間がたってしまっているので、ご面倒でしょうが、理由を教えていただくと助かります。

<ら・らさん> 【我が意を得たり!(笑)】
        「かなりおもしろい」99.12.02

このたびの、過去を懐かしむまで時間差とそれを埋める写真文化の位置付け、とても印象的でした。

将来と現在の差があいまいになったら、興味関心が現在にフォーカスされるのは当然です。そして、興味のフォーカスが当たると、細かい事までも気になるのは人間の心理というものです。

文中のこれらの言葉を読んで思い当たったのは、先週衝撃的なニュースとして取りざたされた、お受験殺人の春名ちゃん事件でした。
育児中の母親たちが織り成す、隔離され密閉された社会。

子育てに関わる約20年という年数からすれば、ほんの数年に過ぎない幼児期に、なぜこれほどまで狭い視野で生きてしまうのか・・・。
「現代育児は・・・」などと、わかったような口調で説くコメンテイターは多いが、どこかピント外れで、「ちが〜う!!」と言いたくなったのは、私が現在3才の子供を抱えて育児社会真っ只中にいるため。

何が違うのかよく分からなかったのですが、「棚からぼたもち」を読んで、我が意を得たり!(笑)。
育児社会も、まさに、過去とも未来とも切り離された、点として存在する「今」だけが問われる社会に他ならないのだと思い当たりました。

母親たちの密で濃く、そして複雑に絡み合う人間関係の中で、自然興味は子供たちのちょっとした細かい差、に行き着いていきます。
大人だけの世界ならば、「いいよ、別に悪く言われても」と強く出られても、そこに我が子が絡むと事態は一気に深刻化していきます。
将来も、可能性も関係なし。

ただただ、「今の違い」なるものが最も関心高くなり、また許されなくなっていく。
辛い、辛い、時代だな〜とシミジミ思います。
それは、本当は子供にとってもっとも辛い、ということなのですが・・・、悲しいかな、今の私たち(母親たち)にはそこまで思いやるゆとりさえもなくなっているようにも思えます。

育児社会から全く離れて孤高の人としてやっていくか、もしくはどっぷりとはまっていくか、どちらかしかない。
中間でいることはかなりのバランス感覚と根性(!)が要求されます。
残念ながら、加害者、被害者、どちらの気持ちも分かる、そう言えるのは、私たち当事者だけのようですね。

ニュースで論じられている意見は、「所詮部外者」と言った感がぬぐえないのが、今の育児模様を端的に表しているのかも・・・。

以上、本来のテーマからは随分外れてしまいましたが、
今回のメールマガジンを読んで深く思ったことでした。


【お返事】

> 何が違うのかよく分からなかったのですが、「棚からぼたもち」を読んで、我が意> を得たり!(笑)。

ありがとうございます。
これは、まさに育児の真っ最中のら・らさんならではのご意見で、うれしくなってしまいました。

> 育児社会も、まさに、過去とも未来とも切り離された、点として存在する
> 「今」だけが問われる社会に他ならないのだと思い当たりました。

育児に真っ向から関わっているお母さんたちの現在の状況は、本当は恵まれているとは言い難いものがあると思います。私は子供を育てた経験があるとはいえ、所詮男性ですし、現在の若い父親と違って、ほとんど何もしなかった古いタイプの父親ですから、偉そうなことは言えません。
でも、一方で、コンサルタントとして見ていると、その実状はよく分かります。

> 残念ながら、加害者、被害者、どちらの気持ちも分かる、そう言えるのは、私
> たち当事者だけのようですね。

そのとおりだと思います。結局のところ、現在の特殊な状態、つまり母親たちの心理状態を本当に解明しなければ、第2第3の事件が起きても不思議はありません。
また、テーマがかなり微妙なので、記事にするかどうしようか迷っているものに「幼児虐待」の問題があります。
これも春名ちゃん事件と共通する部分がたくさんあります。そして、そのひとつのキーが、今回の「1点に集中することで、それが1つの世界になる心理」だと考えています。

それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。

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