readers' voice

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自己を否定する勇気のしるし【セイコーとシチズン】
  99.8.1 掲載【その3】

 <篠田さん> 【彼らは消費財メーカーか?】

        「かなりおもしろい」99.8.01

時計業界の分析、とても面白く拝見させていただきました。改めて色々なことを考えさせていただける事例として、良かったです。以下感じたことを羅列します。

■ Seiko Citizen … 彼らは消費財メーカーか?

> 調べてみると、完成品ではGショックのカシオが約5,600万個を売り上げ、ト
> ップになってしまいましたが、ムーブメント(時計の駆動部のこと。これを他
> のメーカーに部品として卸している)を含めた生産数となるとシチズンが3億
> 1,080万個、セイコーが2億9,200万個、カシオが5,600万個と、今でもセイ
> コーとシチズンは台数ベースで日本いや世界の1位、2位のメーカーです。

ここ、別の意味で面白い。完成品=消費財の世界ではカシオが一番なんですね。
単純に売上の5倍以上が外販なんですね。そう思うとセイコー、カシオって本当に消費財メーカーなんでしょうか?生産財メーカーと言ってもよいのでは。

結局は消費財のブランドは生産財における価値を増やすだけのものという見方もできると思います。これって、シャープの液晶事業を「消費財におけるブランド確立」と「消費者ニーズ把握のノウハウを獲得する」という通常の生産財メーカーが苦手とする要素を強みとして持つ「生産財メーカー」として見ることもできるというのに似ています。

■ 商品になりの一定の価値観

> 結局、せっかく「なぜ時計も着替えないの」キャンペーンで時計の幅を広げた
> のに、それが返ってセイコーやシチズンの首を締める皮肉なことになってしま
> ったのです。

このご指摘は大変面白く感じました。

> 100万円の時計は成金趣味で嫌味だけど、100万円のダイヤの指輪ならちょっ
> とした小金持ちなら持っていてもおかしくありません。アクセサリーで安い
> モノなら300円のブレスレットだってあります。

面白いのは、そこには商品なりの「一定の価値観、価格観」が見受けられるという事です。

> 時計は高い安いの「段階的な判断基準」というものがなく、その時その時の条
> 件でしか「高そうかどうか」がわからないのです。

これはご指摘のとおりなんですが、同じ事がアクセサリーにも言えませんか?
また所謂「ブランド品」も同様です。つまり、「ファッション」品というポジショニングをした時点で、最優先すべき要素のように思います。

でも、上述のように時計はまだ「機能性」を残しているのでしょう、その触れ幅は返って小さいように感じます。

■ ブランドマネージメント

> いたずらに、クレドール、ルキア等、セイコーの名前にもうひとつ名前をつけ
> るようなことをしただけです。それらについて広告をきちんと打った訳でもあ
> りませんし、クレドールがどんな特徴を持ったどんな人のための時計なのかを
> 伝えようともしませんでした。

これは、コーポレートブランドと個別ブランドとのブランド設計の問題なのだと思います。

コーポレートブランドを依然強く感じるのは、「機能性」を依然重要視したが故のブランド設計のようにも感じます。でも、アペレルに代表されるファッション商品は個々人のアイデンティティに関わると思いますので、ご指摘のようにもっと個々のブランドを立てた戦略にしていくべきのように思います。

資生堂がやっている「アウトオブ Shiseido」のような発想も必要なのかもしれませんね。

■ 今後の戦略の方向

> 例えば、今の時計メーカーには、つけ心地を追及した商品開発を積極的に推し
> 進めている様子はありません。

これはこれで重要な選択肢だと思います。もういちど「機能」を見つめなおす。ただその一方で「ファッション」というポジションを考えてブランドマーケティングを組み立てなおすという考え方もあると思います。

でも冒頭で述べたように、経営戦略上自社を生産財と位置付けているなら、このオプションは得策ではないのかもしれません。

> デザインが一見重視される、ということです。
> ステレオやテレビなどはインテリアとしてのデザインが要求されます。

これは一次機能がありふれて、ゼネラル化したときに出てくる課題ですね。白状するとステレオの方向性を模索するときに、時計の戦略を参考にしたんです。

> 時を「どんな時でも」「どんな場所でも」「すぐに」知ることができれば、
> 腕時計でなくても良いからです。

実は自分たちの回りで進行している事象があります。それは「携帯電話」。
これを時計代わりにしている人が意外に多い。考えてみれば、いつも持ち歩く、液晶バックライトがついて暗闇でも見れる、と最適な時計です。

場合によっては「アラーム機能」をつけても良い、 web 連動させれば時間の自動修正も可能かもしれない。

昔みたウルトラセブンでは、腕時計が通信手段≒電話になって、それが未来の姿かと思っていましたが、逆になりそうな気もしますね (^_^)


【お返事】

>ここ、別の意味で面白い。完成品=消費財の世界ではカシオが一番なんですね。
>単純に売上の5倍以上が外販なんですね。そう思うとセイコー、カシオって本当
>に消費財メーカーなんでしょうか?生産財メーカーと言ってもよいのでは。

いいところに目を付けました。
紙面の都合で、書き切れませんでしたが、両社ともすでに生産財メーカーになってしまっているんです。
一見、だから、きちんとしたマーケティングがてきていないのか、と思われがちですが、例えば TDK の売上の90%が電子部品で、テープなどの消費財は小規模な事業です。でも、TDK はきっちりマーケティングをしている。
企業と、事業部は必ずしも連動していません。

>これって、シャープの液晶事業を「消費財におけるブランド
>確立」と「消費者ニーズ把握のノウハウを獲得する」という通常の生産財メーカー
>が苦手とする要素を強みとして持つ「生産財メーカー」として見ることもできる
>というのに似ています。

形はそのとおりです。ただ、実質が伴っていないのが時計業界の問題です。
-------------------
>これはご指摘のとおりなんですが、同じ事がアクセサリーにも言えませんか?

記事中にあるように、大小、多少が「連動機軸」だと私は考えています。
もしかしたら、篠田さんの主旨を私が間違って受け取っているのかしら。

>また所謂「ブランド品」も同様です。つまり、「ファッション」品というポジショ
>ニングをした時点で、最優先すべき要素のように思います。

ブランドを最優先すべきというご指摘は正解です。
ごめんなさい。
篠田さんの主旨がここのパートでは分かりにくかったので、コメントしずらかったです。
-------------------
>コーポレートブランドを依然強く感じるのは、「機能性」を依然重要視したが故
>のブランド設計のようにも感じます。

優しい見方です (笑)
コーポレート・ブランドが立っているように見えるのは、個別ブランドが弱すぎるから、というのが私の見方です (笑)

簡単に言えば、ブランドとは「約束ごとの証」です。
例えば、セイコーを買えば故障することは少ない、のはひとつの「約束ごと」です。
ただ、その「約束ごと」は、他社の製品と差別性と受容性がなければならず、また、人間の記憶に残るだけの「特定性」がなければなりません。

前者については、「故障することが少ない」のは、今の時計のほとんどがそうだとすれば、セイコーだけが「約束できること」ではありません。
また、多少故障したって他に時を知る道具がたくさんあるから別にいいよ、という生活者が多ければ、その「約束ごと」は重視されません。

後者の「特定性」とは、「約束ごと」の概念が広すぎては頭に残らないということです。
例えば、今や「おしゃれ」といっても、定義がかなり多様化しています。
シャネルのようなエレガントもおしゃれであり、古着もおしゃれ。それらを一緒にして「おしゃれ」とするには、概念が広すぎて、ぶつかりあい、記憶に残らないわけです。

セイコーやシチズンは上記のどれも「コーポレート・ブランド」さえも、条件を満たしていない、といえます。
-------------------
>ただその一方で「ファッション」というポジションを考えてブランドマーケティ
>ングを組み立てなおすという考え方もあると思います。

はい。記事で指摘したように、時計としての機能性を犠牲にしてでも、デザインやブランドを追求するということも可能です。
残った問題は、そのうちどれが最も金がかからないか、要するに「ROIが最大化するか」ということです。

>これは一次機能がありふれて、ゼネラル化したときに出てくる課題ですね。白状
>するとステレオの方向性を模索するときに、時計の戦略を参考にしたんです。

ごめんなさい。
ここではのニュアンスはちょっと、それとは違います。
確かに、篠田さんがご指摘するように、一次機能に差別性がなくなると、他の機能で差別化が要求されます。ここでいう二次機能、つまりデザインです。
生活者の言葉でいえば、ある水準の機能で満足できるまでは、デザインなんて悠長なことは言っていられないけど、そこそこ満足できる機能が得られるなら、次に期待する機能(デザイン)に関心が移るというものです。

これは、ほとんどすべての商品に適用される普遍的な要求構造です。
だから、商品のサイズの大小を問わず、例えば、カメラやヘッドホンステレオでも同じ事が言えます。
でも、ここで私が言いたかったのは、めざわりなものを隠すためのデザイン性です。
微妙にニュアンスが違うのがおわかりかと思います。

>実は自分たちの回りで進行している事象があります。それは「携帯電話」。
>これを時計代わりにしている人が意外に多い。考えてみれば、いつも持ち歩く、
>液晶バックライトがついて暗闇でも見れる、と最適な時計です。

はい。こういった方々が急増しています。
読者の中にも、時計は携帯電話だけ、という方がいらっしゃいました。

>昔みたウルトラセブンでは、腕時計が通信手段≒電話になって、それが未来の姿
>かと思っていましたが、逆になりそうな気もしますね (^_^)

NTT の試作品で、腕時計型の携帯電話がありましたよね。
ぱっと見た瞬間「科学特捜隊」や「スーパージェッター」を思い出して、ワクワクしてしまいました (笑)
ただ、小型化するためにテンキーがなく、音声で番号を入力したり、まだ大きいのでぶかっこうだし、取り回しが面倒そうという印象がありました。


【篠田さんからのお返事】

> 一見、だから、きちんとしたマーケティングがてきていないのか、と思> われがちですが、例えば TDK の売上の90%が電子部品で、テープなど> の消費財は小規模な事業です。
> でも、TDK はきっちりマーケティングをしている。
> 企業と、事業部は必ずしも連動していません。

ここらの企業の行動原理って面白いですね。カッコよく言えば、消費財としての高品質ブランドが生産財の安心感につながる、という事なんでしょうけど、実は「創業の商品」とか「従業員の自己実現」「常務の生きがい」とかいうものがうごめいていそう。

でも、私はこういう感覚って実は好きなんです (^_^)やっぱり「自分も面白い」ものをやるのが一番楽しいですもん。

> ごめんなさい。
> 篠田さんの主旨がここのパートでは分かりにくかったので、コメントし> ずらかった です。

いえ、後から読み直してみれば、確かに何が言いたいかよく分らないですね(^^ゞ

言いたかったのは、森さんが
「高いものは高そうに見えて当たり前」の事例として、宝飾品は「高そうというのが判りやすい商品」であり、時計は「高い安いの段階的な判断基準というものがなく、その時その時の条件でしか高そうかどうかがわからない」という比較をされていたのをみて、

アクセサリーの方が概して「高いか安いかわかりにくい」商品が多く、結局『ブランド』価値でしか説明できない商品ではないかと思ったため、森さんの このご指摘はあてはまらないのではということなんです。
むしろ時計の方がアクセサリーに比べて価値−価格の判断基準の分りにくさは少ないのではないかと思うくらいです。
そのことが言いたくて、価値の「触れ幅」という表現をしました。

> >コーポレートブランドを依然強く感じるのは、「機能性」を依然
> >重要視したが故のブランド設計のようにも感じます。
>
> 優しい見方です (笑)

弱いものの見方ですので (^_^)

> コーポレート・ブランドが立っているように見えるのは、個別ブランド> が弱すぎるるから、というのが私の見方です (笑)

ご指摘のとおりですね。

これは「ブランド設計;コーポレートブランド重視」の為に個々のブランドが弱くなったのか(戦略のミス)、個々のブランドを立てようとしたのだが失敗した(戦術のミス)、の2つの側面が考えられますね。

想像でもの言っちゃなんですが、前者のような気がするな。精工舎は保守的な企業風土を持つという話を聞いたことがあります。「シンプル」という言葉を、
「薄い」という意味に解釈する社内用語もあるそうです。
⇒ もっとシンプルに!というと薄くなる

でも、アウトオブ Shiseido のマネをして「アウトオブSeiko」を志向したこともあったようです。スプーンはそうだと聞きました。

> ただ、その「約束ごと」は、他社の製品と差別性と受容性がなければな> らず、また、人間の記憶に残るだけの「特定性」がなければなりませ > ん。

ポジショニングですね。

> 前者については、「故障することが少ない」のは、今の時計のほとんど> がそうだとすれば、セイコーだけが「約束できること」ではありませ > ん。

> 後者の「特定性」とは、「約束ごと」の概念が広すぎては頭に残らないということです。

唯一「昔から」「最初の」という因子は強く残っていると思います。でも、それが商品の具体像に結びつかないのが実情では。

しかしながら冒頭に立ち戻れば、生産財のブランドとしては、そんなにクリティカルなブランド像よりも、茫洋としながらも広く「高品質」なブランドイメージを持たれていたほうが良いのかもしれません。そのブランド性を維持するのはとても大変だと思いますが。

> はい。記事で指摘したように、時計としての機能性を犠牲にしても、 > デザインやブランドを追求するということも可能です。
> 残った問題は、そのうちどれが最も金がかからないか、要するに
> 「ROIが最大化するか」ということです。

リターンを測る場合に、図体の大きさは不利に働きますね。

> NTT の試作品で、腕時計型の携帯電話がありましたよね。
> ぱっと見た瞬間「科学特捜隊」や「スーパージェッター」を思い出し > て、ワクワクしてしまいました (笑)

あれ?てことは森さんって同じ世代なのかなぁ (^_^)ウルトラセブン談義で夜を明かしたことが何度もありませんか?


【お返事】

>ここらの企業の行動原理って面白いですね。カッコよく言えば、消費財>としての高品質ブランドが生産財の安心感につながる、という事なんで>しょうけど、実は「創業の商品」とか「従業員の自己実現」「常務の生>きがい」とかいうものがうごめいていそう。

ありがちなパターンですね。
でも、最大の企業動機は良質の人材の確保だったりします (笑)

>でも、私はこういう感覚って実は好きなんです (^_^)
>やっぱり「自分も面白い」ものをやるのが一番楽しいですもん。
>       ~~

あ、大賛成 (笑)
私の行動原理のすべてです。
------------------
> アクセサリーの方が概して「高いか安いかわかりにくい」商品が多
> く、結局『ブランド』価値でしか説明できない商品ではないかと思った> ため、森さんのこのご指摘はあてはまらないのではということなんで > す。

石などの大小、多少では価値の段階的判断は不足だった、ということでしょうか。うーん。

アクセサリーはティファニーや4C などのブランドはありますが、ブランドがついていないものの方が数としては圧倒的に多いのが実状です。例えば、ちょっと見ただけでは15万円相当のダイヤの指輪が「じゅわいよ・くちゅーる・まき」で買ったものか、「田崎真珠」で買ったものかは分かりません。

では、何が手がかりかというとやっぱり大小、多少しか思いつかないというのが本音です。

そういう意味では、アクセサリーでブランドは良く見かける手法ですが、must という状態ではないと思うんですが。

篠田さんのご意見をお伺いしたいところです。
----------------------
>これは「ブランド設計;コーポレートブランド重視」の為に個々のブラ>ンドが弱くなったのか(戦略のミス)、個々のブランドを立てようとし>たのだが失敗した(戦術のミス)、の2つの側面が考えられますね。
>
>想像でもの言っちゃなんですが、前者のような気がするな。

こういうケーススタディは想像でやりましょうよ (笑)
外側から見える材料でいかに戦略を見通せるか、がひとつの楽しみですもの (笑)

で、私の見方はどちらかといえば後者です。
というのも、セイコーが外部に対するコミュニケーションにかける費用は、スポーツ大会の企業ロゴ訴求を別にすれば、ほとんどアイテム(サブブランド)が素材です。

ただ、これは戦術の失敗もありますが、必要最低限のコミュニケーション費用を用意していない、企業ブランドとの役割分担がはっきりしないまま突っ込んでいる、等の理由で戦略ベースでの失敗という側面もあると思っています。

つまり、企業ブランドかサブブランドかの重点の置き方がまったく中途半端なまま未消化になっているのではないか、ということです。

>でも、アウトオブ Shiseido のマネをして「アウトオブSeiko」を
>志向したこともあったようです。スプーンはそうだと聞きました。

あ、そうだったんですか。
やっぱり中途半端だ (笑)
----------------------
>ポジショニングですね。

ご明察です。
私、ポジショニングの信奉者でもあります (笑)

>唯一「昔から」「最初の」という因子は強く残っていると思います。
>でも、それが商品の具体像に結びつかないのが実情では。

はい。元々、「昔から」というような、歴史を振り返るコンセプトをし始めたところは凋落するか、現状維持か、いずれかというジンクスがあります (笑)カルピスウォーターのように、この要素に何らかの現代ニーズを取り込めば大きく飛躍することはあるんですが。

>しかしながら冒頭に立ち戻れば、生産財のブランドとしては、そんなに>クリティカルなブランド像よりも、茫洋としながらも広く「高品質」 >ブランドイメージを持たれていたほうが良いのかもしれません。そのブ>ランド性を維持するのはとても大変だと思いますが。

攻めよりも守りの方が圧倒的にコストがかかるのと同じですね。
問題は、消費財のブランドイメージや地位が脅かされると生産財にも影響するということです。いずれにしても、トップはどこかでチャレンジャー的なイメージ要素を残しておかないと、後発に駆逐される余地を残してしまいます。

別な言い方をすれば、トップの戦略は「ミート戦略」と「全面配置」です。これはとりもなおさず、「革新的(技術的にも文化的にも)」コンセプトの下位が攻勢をかけてくれば、それに応戦しなければならない、ということを意味します。

ですから、トップの総体イメージは百貨店的な「何でもあるけど良く分からない」のではなく、専門店の集合体のテナントビルのように「これもあるし、これもある」という、明確なイメージの集合体でないと、足腰が弱るだけですし、攻めにも弱くなります。

>リターンを測る場合に、図体の大きさは不利に働きますね。

ご明察です。
大企業でトップの最も大きな弱点の一つです。

>あれ?てことは森さんって同じ世代なのかなぁ (^_^)
>ウルトラセブン談義で夜を明かしたことが何度もありませんか?

わわわ、同じかも。
私はセブンはぎりぎり最後の時代で、中心はウルトラマン、初動はウルトラQです。43才 (笑)


【篠田さんからのお返事】

> ありがちなパターンですね。
> でも、最大の企業動機は良質の人材の確保だったりします (笑)

あっ、そうですね。大事な点を忘れていました

> アクセサリーはティファニーや4C などのブランドはありますが、ブランドが
> ついていないものの方が数としては圧倒的に多いのが実状です。例えば、ちょ
> っと見ただけでは15万円相当のダイヤの指輪が「じゅわいよ・くちゅーる・
> まき」で買ったものか、「田崎真珠」で買ったものかは分かりません。

なるほど、確かにそうですね。

宝石などはご指摘のとおりだと思います。私には分りませんが「輝きに魅せられ虜になる」と言いますよね。いわゆるマニアな方たち。
私もその昔100万円するオーディオ機器を買うマニアな方を相手してましたから、なんとなく分る気がします。

でも一方で、アクセサリー市場って、ものだけで価値が判別できるお客ばかりでもないように思います。間接照明・静かな雰囲気…高そうだと思わせる演出、ジュワイヨクチュールの名前、その中での10万円というプライス。それらをまとめて価値とみているお客もいるのでは。

そんな人にとって、他人からみたら「じゅわいよく…」で買ったとは分らないですが、買った本人には真実。だから「ブランド」が少なからず『満足感』に寄与しているのでは。

商品そのもののブランドではなく、売り場のブランドマネージメント。

そう思うと、元の話に戻ると、アクセサリーとしての時計は「ターゲッティング」と「チャネル戦略」にも問題があったのかもしれない。

> で、私の見方はどちらかといえば後者です。
> というのも、セイコーが外部に対するコミュニケーションにかける費用は、
> スポーツ大会の企業ロゴ訴求を別にすれば、ほとんどアイテム(サブブランド)
> が素材です。

正直、余り印象に残ってないです(^^;;
でもセイコーアルバ、の様に、必ずセイコーがくっついている気がするのです。
スプーンはちゃいますけどね。

> ただ、これは戦術の失敗もありますが、必要最低限のコミュニケーション費用
> を用意していない、企業ブランドとの役割分担がはっきりしないまま突っ込ん
> でいる、等の理由で戦略ベースでの失敗という側面もあると思っています。

ハードメーカーの常として「企業ブランドの向上」というのを、必ず求める声が出てきますから。そこにプライドと自信を求めたりする。

> はい。元々、「昔から」というような、歴史を振り返るコンセプトをし始めた
> ところは凋落するか、現状維持か、いずれかというジンクスがあります (笑)

「昔からある」「なじみがある」というのは、決して手放しで喜ぶべき因子とはいえないと言いますものね。

> 攻めよりも守りの方が圧倒的にコストがかかるのと同じですね。

あ、これ面白いご指摘です。ブランドマネージメントではむしろ逆の事を指摘する声も高いと思います。攻めることによるリスクを指摘する声が。
でも、いずれにしても「らしさ」と「あたらしさ」の落としどころって、すごい難しいと思います。

> ですから、トップの総体イメージは百貨店的な「何でもあるけど良く分から
> ない」のではなく、専門店の集合体のテナントビルのように「これもあるし、
> これもある」という、明確なイメージの集合体でないと、足腰が弱るだけです
> し、攻めにも弱くなります。

なるほど、その集合体が「方向」をもっていたら、なお良いですね。
「総合」ではなく「統合」されてなきゃ、大きい意味がない。

> わわわ、同じかも。
> 私はセブンはぎりぎり最後の時代で、中心はウルトラマン、初動はウルトラQ
> です。43才 (笑)

良いですね〜(^_^)

私もウルトラはセブンまでです。でもキングジョーとの初の対峙シーンは今でも感動ものです。その後の「怪奇大作戦」が怖くて見れなかったのが後悔してます。
ウルトラQも怖かったなぁ。

そんな私は、37才♂ 妻ひとり、子ふたり、犬いっぴき、(^_^)


【お返事】

>そんな人にとって、他人からみたら「じゅわいよく…」で買ったとは分らないで
>すが、買った本人には真実。だから「ブランド」が少なからず『満足感』に寄与
>しているのでは。

それは確かにありますね。
特に、宝飾品は「自分に対するご褒美」市場が大きいですから、その人たちにとっては、自分が買った情景が大きな価値になる。

>そう思うと、元の話に戻ると、アクセサリーとしての時計は「ターゲッティング」
>と「チャネル戦略」にも問題があったのかもしれない。

それは、気がつかない視点でした。
確かに時計売場の演出は「中途半端な宝石売場」にも行っていない。
これは、問題かも。

>正直、余り印象に残ってないです(^^;;

そう。それが問題 (笑)
松たか子の「時計」や「セイコー」の広告という意識はあっても「ルキア(だったでよね (笑))」の広告とは誰も認識していない。
その理由は、「ルキア」ならではのメッセージ(訴求内容)が広告に流れていないからです。商品カットやロゴはまさしく「セイコー」ではなく「ルキア」なのに。

>でもセイコーアルバ、の様に、必ずセイコーがくっついている気がするのです。

アルバやベガの投入当時は、セイコーやシチズンの名前を隠していました。
小堺一樹(字は違うかも)の広告も最後のロゴは「アルバ」だけでした(あっ、ベガかな? (笑))。
「一流」「高級」のブランドイメージを守るための方策です。
でも、守る必要がなくなったと考えたのか (笑)、一流などのブランドイメージ構築をあきらめたのか (笑)、ブランドをくっつけてしまってから久しいです。

>「昔からある」「なじみがある」というのは、決して手放しで喜ぶべき因子とは
>いえないと言いますものね。

そう。だって、「それしか残っていない」という意味ですもの (笑)

>あ、これ面白いご指摘です。ブランドマネージメントではむしろ逆の事を指摘す
>る声も高いと思います。攻めることによるリスクを指摘する声が。

え?
そうなんですか?
それは不思議だ。びっくりです。

あ、もしかしたら、ブランド確立後は「ブランド価値の維持だけで良い」という点をおっしゃっているのかしら。
もし、そういた視点なら、ご指摘のとおりです。

でも、企業活動としては、守りは「ミート戦略」「全方位主義」が基本ですから、全体にマーケティング資源を配置しなければならない。
一方で、攻めるときにはその費用の何分の1でも、集中すればいいわけですから、資源配置を考えれば少ないコストでリターンを得ることができます。

>でも、いずれにしても「らしさ」と「あたらしさ」の落としどころって、すごい
>難しいと思います。

はい。だから、マーケティングっておもしろいんだと思いますし、下位メーカーもきちんと市場や生活者を見据えればヒットが作れる。

>「総合」ではなく「統合」されてなきゃ、大きい意味がない。

いいことばです。
正に、統合です。

>私もウルトラはセブンまでです。でもキングジョーとの初の対峙シーンは今でも
>感動ものです。

あ、ごめんなさい。もう、キングジョーとなると記憶にないです。

>その後の「怪奇大作戦」が怖くて見れなかったのが後悔してます。

あ、これも懐かしい。
和製アウターリミッツという感じで、私大好きでした。
視聴率は残念ながら稼げなかったですが。

>ウルトラQも怖かったなぁ。
>
>そんな私は、37才♂ 妻ひとり、子ふたり、犬いっぴき、(^_^)

おお?
ということは、結構、早熟だったんですね。
ウルトラQ は昭和40年ですから、幼稚園の頃?

それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。

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