■カジュアル・フード文化と女性【牛丼と定食と、ちょっと菓子】

イオカード

不思議なピーチパイ(すんませんオヤジギャグで)

男性の私にとって、女性の行動には不思議なことがいくつもあります。
そのうち、最近特に気になっているのが電車内など公共の場での食べ方です。

1971年、東京銀座で歩行者天国が始まりました。
その様子に対して「女性が歩きながら物を食べるとは、ふしだらだ」というような論調が多かったことを、当時高校生だった私は「へぇ」という目で見ていたことを思い出します。また、最近の女性の歩きたばこについても、表立った批判はないものの不快に感じている男性が多いことは事実です。

でも、そのことについて考察するつもりはありません。
男だろうが女だろうが、歩きながら太陽がさんさんと降り注いでいる屋外で食べるものの味は格別だからです。性差はありません。

また、1日120本の喫煙本数の私にとって、女性がたばこを吸うことなど何とも思っていません。いや、かっこ良く吸っている姿には憧れさえ覚えます。20代の頃、ハイライトを吸っている女性を喫茶店で見かけ、その姿にしびれた私は思わず声をかけてしまったという経験すらあります。

食べ物の分野でも、東京新宿のホームで缶詰のポークビーンズを一気にかけこんでいた20代半ばのスーツ姿の女性も、立ち食いそば屋で大盛りを注文する若い女性の光景などは日常茶飯事です。

個人的に言えば、電車の中で女性が何をどう食べようが、まったく関知しません。

…が、気になる。

最近時々見かける光景が、気になって仕方がないのです。

何がって、その食べ方です。

3分間に40回繰り返す「水飲み鳥」

水飲み鳥彼女達は一様に膝の上に置いたバッグに食べ物を忍ばせています。

パンやスナック菓子の類です。

ちょっとつまんで、サッと口に入れる。
そしてまた、バッグに手を入れ、また、つまむ。

これだけを見れば、何ということのない行動です。
でも、バッグに手を入れて口に運ぶサイクルが異常に短いのです。ちょこちょこと落ち着かない鳩のように、その機械的な仕種を続けます。

いくら、人の観察が私の情報源だといっても、すいている終電近くの隣席や前席でこれをやられたらたまりません。私が雑誌を読んでいようが、携帯ワープロでメールを書いていようが、視野の隅でちょこまかと動く物体があるのです。周囲は静止したまま。これで気にならないわけがありません。

人間は基本的には動物です。動くものに神経が集中するのは当たり前です。そうでなければ、草原で自分を狙う肉食動物から身を守ることなど到底不可能です。

私たちのプレゼンテーション・テクニックでも、ポインタ(指し棒)の使い方にはかなり神経を使います。OHPなどの静止画上に動く物体を置くと聴衆の注意を引きます。だからこそ、注意を喚起したい場所にポインタを使用するのですが、この使い方を誤ると、つまり、むやみにあっちこっち動かすと、聴衆に伝えたいことが散漫になったり、本当に注意して欲しい場所に興味が行かなかったり、といった不都合が起こります。

このちょこまか動く女性達ですが、先日数えてみたら3分間に40回も同じ動作を繰り返していました。1回につきたったの5秒間。しかも、そんな回数をこなしていながら、手もとの15cm程度のフランスパンは半分以上も残っています。

コップの水をコックリ、コックリ、シーソーのように上下を無限に繰り返す「水飲み鳥」のおもちゃが思い浮かびます。あるいは「ししおどし」と言っても結構です。

数える方も暇だよなぁ、と自嘲気味に思いながら、向こう側の女性の手元を一心不乱に見つめている私。異様な光景です。

普及率0.1%未満の「勘」

とうとう我慢できずに、知り合いの女性数人に尋ねてみました。
まず、皆、一様に笑い出します。

「あはは、森さんも気がついていたんですか」
えっ?そんなに女性の中ではポピュラーなの?

…という訳でもなさそうでした。

「私たちも気にはなっていたんです。落ち着かないというか、品がないという感じで。そんなに頻度は多くないですけど、気になってしまうのは私たちも同じです」

「じゃあ、みんな電車の中なんかでは食べないんだね」
「ひとりでいるときは食べることは少ないですよ。友だちといる時はそうでもないけど」
「でも、その人達の気持ちは良くわかります。恥ずかしいから、できるだけ早く食べてしまいたい。でも、大口を開けて堂々と食べるのはみっともないから、それを両立させようとすると、ああいう食べ方になるのでしょう」

なーんだ。そういうことだったのか。
うんうん、よかった。
疑問が晴れた…

ん?でも、よくよく考えてみると、何だかピンと来ません。
本当に電車内の彼女たちが特殊なのでしょうか?
いや、確かに私が見る限り、「水飲み鳥式食事作法」は普及率0.1%にも満たない、誤差ともいえる割合しか占めていません。

でも、今までは女性の車内での食事は絶対に見ることがない光景だったのです。
0.1%すら存在しなかったのです。それが、誤差の範囲とはいえ、出現している。

いや、統計学では誤差範囲だと0.1%は0%と同じ意味だということはわかっています。でも、勘における0%と誤差範囲0.1%の差は、誤差なし20%と70%の差に匹敵します。要するに「あったものが広がる」より「なかったものが出現した」ほうが圧倒的に重要だということです。

この感覚は1年前、発売直後にNTTドコモのポケットボードというミニ・メールマシンを使う女性を見かけるようになったり、5年前に初めて女性が「歩きたばこ」をしていたのを発見した時に似ています。また、15年前にオヤジギャルの元祖達が競馬新聞を外で読み始めたときもそうでした。
すべて最初はほんの「時々」見かけるだけだったのに、「ん?ヘンだな」と思って注意して見ていくうちに、価値観の変化がやってきたものでした。

こういう小さな波の取り扱いには注意が必要です。本当に一部の人しか実践していないため、価値観の変化を伴う大きな波になりきれず、広大な海原に消えてしまうことも多いからです。
幸いなことにコンサルタントは、クリエイタやトレンド・ウォッチャーのように、小さな波をすぐにすくい上げる必要がありません。「商品開発は半歩先を狙え」が定石ですが、クリエイタは「2歩3歩先」を狙わなければなりません。すくいあげた小さな波が、やはり小さな波のまま終わってしまったということが往々にしてあるのです。

だから、コンサルタントは小さな波はすぐに結論づけずに、自分の中で納めておくだけにして、その後の様子を見守る癖がついています。
例えば先月東芝のジェニオという、コンセプトは素晴らしいが、使い勝手は素晴らしく最悪な電子メールPHSを使っていた女性を1日で3人も見かけたときには、「えっ?一体何が起こったの?」というほどびっくりしました。
が、その後ジェニオを使っている人は今までと同様、一切見かけないので単なる偶然と結論づけています。

でも今回は何か、変化の芽がありそうです。いつもの理屈というより本来の私の「勘」というべきでしょうか。一般的に「勘」は潜在的な知識と経験の蓄積がものをいう世界ですので、当たらずともいえども遠からずでしょうか。

カジュアルな食事やその食べ方について、ちょっと考えてみることにします。

和風ファーストフード、牛丼と女性

牛丼席ここで、まず思い浮かぶのが牛丼です。

私が好きな食べ物なのが最大の理由ですが、それ以外にも理由があります。

牛丼や立ち食いそばを初めとする和風ファーストフードにとって、女性客はかなりマイナーな存在でした。

牛丼の場合は以下の3点が主な理由です。

●Uの字型のカウンターに座って食事をするレイアウトのために(従業員がUの字中に入り、配膳などを行います)、対面の(男性)客から自分の食べる姿を見られてしまうのがイヤ。
●丼という「かき込む」イメージが貧粗、情けない。
●店内が騒がしい、あわただしいのでゆっくり食べる雰囲気でない。しかも、カウンターの「早く食えよ」という従業員や他の男性客の視線が気になる。

1980年代の半ばの牛丼チェーンのトップ、吉野屋の女性客比率は10%。しかも、その9割がテイクアウトでの利用です。「味は好きだけど、雰囲気が嫌」という女性客が利用していたに過ぎませんでした。

ちなみに、夜のレストランでの女性客は男性客を誘因するので歓迎されますが、客の回転を重視するランチ店では嫌われる存在です。食べるスピードが遅い。食べ終わった後も、列に並んでいる客にお構いなしに、同伴者とゆっくりおしゃべりを始めるのが原因です。

オフィス人口が急増し、その割に食べ物屋が少なかった東京新宿西口一帯は、かつてランチ難民と言われるほど昼食時間にはどの店も長蛇の列でした。かなりの数の店先に「女性客お断り」というはり紙があるのを見つけてびっくりしたものです。

今でこそ需給が緩和されているので、そんな店は見かけなくなりました。

が、私のオフィスのある東京恵比寿にもガーデンプレイスランチ難民のさざ波が押し寄せたことがありました。はり紙こそありませんが、駅前のレストランや定食屋ではランチタイムに女性客が来ると、席があいているにも関わらず「満席です」と断る光景を何度も目撃したことがあります。もちろん、その席には直後に来たサラリーマンが座ります。

そんな中、新たな需要を開拓しようと、1989年に牛丼の吉野屋が女性向きのファースト・フード風のテスト店舗を、東京神田を初め3店舗で展開をしました。客はファースト・フード店風のカウンターで注文し、できあがった牛丼を受け取り、好きなテーブルで食べる。
他の客にジロジロ見られることはありませんし、自分たちのペースでゆっくりと食事ができます。

上記理由3点の「牛丼が嫌われる理由」のうち、1番目の「姿が見られるのが嫌」と、3番目「あわただしく食事をしたくない」の2点が解消されるはずでした。

しかも、2番目の女性に嫌われる理由である丼そのものの悪イメージは消えつつありました。というのも、吉野屋ではありませんが、「海鮮丼」を代表とする女性向け丼ものがヒットし、様々なレストランで丼ものが食べられるようになってきていたからです。

「海鮮丼」の発祥地は私が知っている限り、東京渋谷の東急109-2やプライムのフードコートです。ワイキキ、アラモアナ・ショッピングセンターで見られるように、アメリカの大型ショッピングセンターではレストランの他に、小さな屋台のようなコーナーで様々なスナック感覚の料理を提供。中央がテーブル席という形式なので、たくさんの料理の中から好きなものを選んで、中央で食べるのです。

それぞれの小店は自慢の得意分野を持っていますから、低価格とはいえ日本食堂のような「総合レストラン」より質が良く、気が利いたものが多いという特徴があります。
109はアメリカのスタイルを真似たのですが、アメリカは香港や各国のチャイナタウンの屋台形式を真似たのですから「孫真似(?)」です。

さて、こんな状況の中、ハンバーガーのようなファーストフード式のサービスの牛丼屋です。
舞台(店内のレイアウトとシステム)さえ用意すれば問題は解消するハズでした。
が、見事に失敗。閑古鳥が鳴いてしまったのです。

頼みの綱の女性はその程度のイメージ変更では来店せず、男性客からはいちいち面倒な自分で食器を運ぶシステムが敬遠されたからです。
女性に対する牛丼の壁はかなり厚いものでした。

牛余談ですが、吉野屋は「女性向け」コンセプト以外に、同時期にもうひとつ実験をしていました。「高級・本物」がコンセプトの実験店です。

吉野屋に限らず、一般的に牛丼屋は牛の肺の肉を使います。牛の肺の「壁」にあたるところは厚みが15~20cmもありますので、切ってしまえば見た目は普通の肉(「マッスル・ミート(筋肉に当たる肉)」)と変わりありません。牛肉の味やコクはほとんどありませんが、牛丼のようにタレを使うものならば、かえってしっとり感があり、肉が薄くても歯応えがあり、タレが染み込みやすいので最適なのです。もちろん仕入れ値が安い。

「高級バージョン吉野屋」はその肉の質を上げることから始めました。
東京赤坂に肉質を上げ、食器なども朱塗のものを使った高級バージョンの牛丼屋誕生です。価格は700円と通常店のほぼ2倍。それでも赤坂という土地柄ですから、周囲の店のランチは1,000円くらい。低価格で充分に対抗できるはずでした。
が、大失敗。半年もしないうちに閉店の憂き目に会いました。

皮肉なことに、一連のテスト展開の直後にメニュー追加した特盛が、売上の20%を占める大ヒットを記録したのです。肉が2倍、ごはんが1.5倍のメニューです。主要顧客は従来の吉野屋の常連である20代~30代のサラリーマンや学生さんです。

牛丼屋に女性が出没し始めた謎

そんな冬の時代が変化したのがつい3~4年前です。
女性が牛丼を店で食べ始めたのです。
初動は学生のカップル。
お金がない彼らにとって、2人で1,000円でおつりがくる牛丼は魅力的な存在です。
それまではカップルですら女性の姿を見かけなかっただけに、ちょっとした驚きでした。

次にチラホラと現れたのが専門学校生。2~3人の少人数のグループ客ですが、女性だけの客という純粋な変化です。専門学校生も教材が高いのでお金がない。牛丼なら暖かいごはんが、下手をするとマクドナルドよりも安く食べられます。

ただし、このグループにはちょっとした条件があります。
学校に近いことと、テーブル席があることが前提です。

「なぁんだ」と言うことなかれ。

吉野屋があれだけお膳立てしても女性に見向きもされなかったのです。そのことを考えると、なんと大きな変化か。

女子高生そして、最終兵器が登場します。女子高生です。

何をするにしても「シンボル」という「言い訳の証」が必要な彼女たちが、牛丼に求めたのが「つゆだく」という食べ方です。これはタレを多めにかけること。チェーン店によっては「汁濁(しるだく)」とも呼ばれ、元来は専門用語でした。ほんの一部の常連客が注文していた食べ方です。

肉を食べてしまっても、つゆが染み込んでいるご飯が最後まで食べられるので、安上がりに、おいしくお腹を一杯にするには格好の方法です。

私の知る限り、「つゆだく」ということばがメディアに最初に現れたのが、週刊SPA!の「ビバ・キャバクラ」というマンガですが、女子高生の彼女たちがそれを読んでいたとは考えにくいところがあります。恐らく彼女たちの男友達からの情報、あるいは牛丼屋でバイトをしたことのある女子高生が発信源でしょう。

(【注】後に読者の皆さんからの指摘で、元凶 (?) は華原朋美であることが判明しました)。

女子高生たちが最初にターゲットにしたのが、東京渋谷のセンター街の「牛めしの松屋」。元々あの辺りを徘徊していた彼女たちですから、必然的な流れです。

彼女たちは、昼間や夕方の繁忙時には決して現れません。午後3時~4時にふらっと数人で来店し「つゆだく」を注文。食べ終わっても男性のようにすぐには退店しません。おしゃべりやら化粧直しやらをおもむろに始めます。

そう。
彼女たちにとって、牛丼屋はマックと同じ感覚なのです。
1時間近くゆっくりした後にようやく腰を上げます。
繁忙期を避けるのはそのためです。さすがの彼女たちも、空腹で殺気立っている若い男性が並んでいるのを尻目に、化粧をパタパタさせる度胸はありません。ルールは守っているようです。

今や、「つゆだく」はメニューに表示されていないにもかかわらず、色々な場所で注文されています。
女子高生が「つゆだく」という牛丼の新しい食べ方を広めてしまった、と同時に女性客が牛丼チェーンに現れる頻度が急激に増えました。

それまでは、前に触れたとおり牛丼チェーンにおける女性客の比率は10%。しかも、その9割が店内での飲食ではなく、持ち帰り需要でした。つまり、実質1%しか女性客がいなかった訳です。しかし、女性たちの比率はここ数年で静かに上昇し、推定で5~6%に上がっていました。そこへ、女子高生です。「つゆだく」です。
現在、渋谷などの繁華街の牛丼チェーンでは推定20%を女性客が占めています。

東京ローカルな話題、大戸屋での新行動

どんぶりカジュアルフードではありませんが、確実に従来の女性の食行動から外れた、おもしろい現象が見られる店があります。

大戸屋という定食チェーンです。

元は昭和33年創業の「おばあちゃんの味」を標榜する古い定食屋ですが、今では50店舗を構える堂々の定食チェーン店です。
東京渋谷には2店あり、センター街店は24時間営業と、かなり活発な展開をしています。

中に入るとまず気がつくのが店内の清潔感です。
定食屋というと、おばちゃんがやっていて暖かいけどちょっと古ぼけた、そしてご飯大盛りの男子学生に優しいというイメージが浮かびます。あるいは、駅前の食堂風で居酒屋になってもおかしくないテーブル席のレイアウト、短冊にメニューが書いてあり、とてつもなく安い。
従業員はおばあちゃんかおまごさんの看板娘というイメージも出てきます。

大戸屋の店内はこのいずれのタイプとも違います。いや、どこか共通しているなつかしさに似た雰囲気は残っているのですが、まったく違う店内です。

全体の雰囲気が明るく、清潔感に溢れています。また、木を使った内装のぬくもりが伝わってきます。いわゆる「女性的」なチャラチャラしたイメージはありませんが、女性が好きそうなさわやか感があります。事実、一緒に行った22才の女性は「定食屋で女の子が抵抗なく入れる店は少ないけど、ここは大丈夫」とコメントしています。

明るさを増幅しているのが従業員の若さと元気の良さです。
「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」の大きな声が元気に響きます。ファーストフードやコンビニにありがちな、間延びした、現在の若い人の「いらっしゃいませぇ~~~」「ありがとうございまぁぁぁ~す」ではありません。きちんと発音します。
店内での作業も実にキビキビとこなします。
ファミレスなら3人は配置しなければならない席数に2人配置され、接客もきちんとしています。彼らの作業量はファミレスの2倍はあるでしょう。

そして、大事なのは味と価格。
実に安くておいしいのです。
かつ煮定食550円が一番人気。
もちろん、列ができています。
客層は渋谷の場合、女性が90%。平均年令19才といったところでしょうか。女子高生もたくさんいます。男性はほとんどカップル客ですが、たまに40代のビジネスマンの2人連れを見かけます。

長々と説明してしまいましたが、ここで特筆すべきは客の行動です。
彼女たちは普通に食事をします。が、その後1~2分休憩するだけで、退店してしまうのです。男性客よりも回転が早いかも知れないくらいのスピードです。

最初にこの光景を見たときには我が目を疑いました。
「いや、彼女たちは急いでいるんだ。そんなわけがない」と自分をなだめようとしたのですが、無駄な努力でした。
食事を終えた彼女たちは次々と席を立っていくのです。

「えっ?何?何でみんなこんなに早いの?」
思わず同伴の女性に聞いてしまいましたが、

「えっ?いつもこうですよ。私もそうします」

という返事。

いやいや、彼女はファミレスではコーヒー一杯で3時間粘る強者です。「いつも」というのは真っ赤なウソ…のはず。
が、本人はけろっとしています。
どうも、彼女の感覚の中では「絶対時間」は意味をなさないようです。本人が感覚の命ずるままに「出ようか」と思う時間がすべて。だから、ファミレスで何時間も粘るのも大戸屋で食後1~2分で退店するのも、「『出ようか』という時間」という意味では同じ長さなのでした。

列があるので、待っている客に申し訳ないから早く出なければならない、という感覚ではありません。いや、そういう「不自由な」感覚を持たなければならないくらいなら、彼女はこの店には二度と来ないことでしょう。

新宿の「女性客お断り」のはり紙はもはや伝説になりつつある。
そんな確信を持ってもおかしくない光景です。

良く食べ、隠さない

牛丼、定食屋に限らず変化したのが「食べること」に対する姿勢です。簡単に言ってしまえば、「良く食べる」し「それを隠さない」のです。

私のオフィスは女性ばかりです。さすがにチョコレート等のダイエットの敵はストックが減るペースが少ないのですが、食事となると食べるなんてものではありません。私の1.5倍は平気で平らげます。ちなみに、最も小柄なスタッフは身長155cm、体重42kgです(さすがに聞き出すのに苦労しました)。私は165cm、60kg。

しかも、最近テレビや雑誌で良く聞くのが「理想の男性?良く食べる人」です。その理由は「自分も食べるから」です。そして、その量たるや…

たった15年くらい前まではデートの時はサラダだけという状況だったのが嘘のような話です。現に、デートで彼氏と話題のラーメン屋に行ったけど、量が少ないので店を出た先のすし屋に寄って1人前を平らげたという話題には事欠きません。

「1000分の15」の変化

浮世絵10~15年という短い間に確実な変化があります。

電車での「水飲み鳥式食事法」、女性の食べるものではないはずの牛丼に進出、定食屋に留まっていないですぐに帰る、男性の1.5倍を平気で平らげる。これ以外にも紹介できない事例を数多く発見しています。

15年は長いと言うかなれ。

食は極めて保守的な分野です。ましてや女性の「食」です。
「女性の食『場』はかくありき」という歴史はずっと15年前のままだったのです。

要するに、平安の昔から1000年以上も「女性は静かに食事をすべし」「女性は食の『場』で食事をすべし」「女性は大食いすべからず」等という価値観を、多少の例外はあるものの、日本人はずっと守っていたのです。
そんな歴史の中で「たった15年」程度で「食」に対する価値観と姿勢が変わりつつあるのは実に驚異的な出来事です。

もちろん、その変化の芽はまだまだ一般的ではありません。
例えば、「(女性が)本来すべきでない場での食」という観点で見ると、日本では「メインディッシュ」に値するのはハンバーガーくらいしか見当たりません。ニューユークで屋台のホットドッグを女性がかじりつくような光景はまだまだ日本では見かけません。

あるいは、イギリスのようにフィッシュ&チップスをテイクアウト専門店で買い、新聞紙に包まれたフライの魚にその場でかぶりつくような光景にもお目に掛かれない。

わずかに見られるのが祭りでの食です。
ヤキソバやお好み焼きなどの「準」食事を屋外で食べることが女性に許される唯一のケース。が、これは「ハレ」の場であって「ケ」ではありません。日常生活で許されるものではないのです。

でも変化は確実に来ています。
これ一体何を意味しているのでしょうか。

女性の食に対する姿勢の変化という問題でとらえるのが正面からの解釈です。理屈はいろいろとつけられます。女性の社会進出、オヤジギャルなどのキーワードが頭に浮かびます。
でも、本当は「自己の表現に対する価値観」の視点で問題を見つめたほうが正解です。誤解を恐れずに大胆な言い方をすれば「自分を飾らないことが最大の演出」という考え方と、「男、恐れるに足らず」という姿勢が影響しています。
ややこしくなるので、今回は「食」という観点のまま最後まで話を続けることにしましょう。

さて、根拠はどうあれ、また、その規模や一般化がどうあれ、もしこのままの変化が進んでいくと、とんでもないことが起こりそうです。
いや、実は、その兆候はすでに現れている可能性があります。

飲料業界では500mlペットボトルが大ヒットしています。いや、コンビニでは「500mlの方が売れる」という表現ではなく「500mlでないと売れない」とすら言い切ります。
今や老若男女に広がっていますが、元々はバックパックを担いで茶系飲料やミネラルウォーターを飲みながら、街を歩く女性が急増したことから火がついています。「飲食の『場』」が変わった、広がったわけです。

たばこの世界でも女性の歩きたばこを1日1回は必ず見かけるという状態になってしまっています。これも「喫煙の『場』」の変化です。

ちょっとだけ菓子メーカー

プリッツそうやって、対象分野を広げて考えると実は「菓子」は極めて古くから「場の変化」を経験してきた業界です。

古くは遠足のお菓子、クレープを初めとして、現在ではコンビニ前にしゃがみこみ、パンツを見せながら仲間とたむろしている女子高生や、学校の教室で友だちとのコミュニケーションのためにお菓子を交換し合う。そういった菓子文化で見られるように、着実に「場の多様化」が進んでいます。

当の菓子業界ではこのことを分かっているはずなのに、きちんとこだわっているメーカーを見かけません。商品を通じて見えてくるのは、いまだに「おやつに」「遠足に」「テレビを見ながら」「小腹がすいたとき」というようなケースです。

いや、間違ってはいません。確かにこういったシーンで消費されることが多いからです。だから、現状追認型で商品開発をするならこの発想で充分です。

でも、逆にいうと現状追認はどのメーカーも思いつきます。商品開発はいきおい味づくりの技術やデザイン、容器、容量、流通力などに限られてきます。その結果、似たような商品がコンビニの棚に溢れ返り、「差別化と口でいうのは簡単だけど、やる身になって欲しい」とのつぶやきともぼやきとも批判ともつかない発言が出てきます。

それはそうです。いや、当たり前です。
従来の視点のままで差別化要素を探すことは不可能とはいいませんが、かなりしんどい作業です。私の通常業務でも差別化提案と主流提案の比率は6:4。差別化提案の中の7割は視点そのものを変えて発見したものです。つまり3割は通常の視点でも発見できる差別化ポイントですが、その倍以上の70%の差別化ポイントは視点を変えないと出てこなかったということなのです。

もうひとつの原因-プライドというワナ

これは菓子メーカーだけに限りません。
「差別化ポイントがない業界だ」とふんぞり返って「自慢している(?)」プライドの高いメーカーほど、ちょっと見方を変えれば差別化要素などコロゴロ転がっているものです。本当に差別化ができない業界など数でいうと5%にも達しません。

では、なぜ差別化が見つからないか。
1つは頭が硬直しているからです。これは、良く言われることです。
でも実はもうひとつ、実に多い例が「プライドが邪魔をしているケース」です。

「自分は色々と考えた。知恵も搾った。でも、差別化要素が見えない。だから、他人に見えるはずがない」

これでは見えるものも見えません。
ちよっとだけ素直になればいいだけなのに。もったいないことです。
そういうタイプの人はメールマガジンなど読みませんから、この記事も届いていないことでしょう(笑)

これまで緩やかだったルールが、急激に変化するときは下位メーカーの一世一代のチャンスです。誰が勝者になってもおかしくありません。
「食」の文化の変革が急激にシフトした時、チャンスは巡ります。それは今現在ではないのかも知れません。しかし、確実にその変化のスピードは上がっています。

いや、結論づけてはいけません。
まだまだ、観察して熟成させなければいけない小さな波かも知れないからです。

「急いてはことを仕損じる」

各メーカーはそのためにじっくりと腰を据えているだけなのでしょう。
小さな波なのです。
小さな波のはずです。
小さな波だったらいいな…
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