■歌え~、水のようにぃ~…ごめんね(え?)【サントリー】

ごめん絵文字

あやまってもらっても・・

最近、耳について離れない曲があります。
歌え~、水のようにぃ~(ごめんね)
歌え~、果実のようにぃ~(ごめんね)

私にとっては700万枚の記録を打ち立てた宇多田ヒカルよりも心地好いマイヒットです。セーラー服恐怖症の私でも気にならない、女子高生のきれいな合唱が郷愁すら誘います。

でも、この歌詞の後のカッコ書きの言葉は一体何なのでしょう。曲の一部として聞けば心地好いのですが、歌詞としてとらえると耳ざわりなだけです。
この異様な謝辞が商品名だったとわかるまで、随分時間がかかりました。

そう、ご存じサントリーの果汁飲料「ごめんね」のCMソングです。
人を食ったような商品名と、意味が良く分からないウサギのイラストのデザインの割には、飲み心地の良い飲料でした。

そして、実際の商品を飲んでみて初めて広告の意味がわかりました。
確かに、商品は今はやりのニアウォーター系のすっきりした味で、果実の酸味がさわやかさを強調します。味はピーチ、ぶどう、グレープフルーツのミックス。

商品を飲んで納得したということは、裏を返せば、飲んでみなければ何が何だかわからない広告だということです。
いや、「ごめんね」という単語が商品の名前になること自体、不思議な感覚です。

【注】「サントリーごめんねCM」(2013年7月5日追記)

その理由は後でゆっくりお話ししましょう。
今回は「商品にまつわる音」がテーマです。
商品には音がつきものです。
商品名はいうにおよばず、テレビ広告、実際に食べたり飲んだり使った時に出てくる音などです。
それらの音を大事にするかしないかで、商品の売れ行きが変わったり、生活者の評価が変わることがあるから、バカにできません。

出だし、中間、巻末とサントリーごめんねの例を間欠的に上げますが、今回は脱線だらけの記事です。肩の力をいつも以上に抜いて読んでください。

聴覚は偉いのか

カクテルグラス五感の中で、音、つまり聴覚は低く見られがちです。
人間は外部情報のうち70%を視覚を通じて取り込むといわれるくらいですから、まず視覚が一番「偉い」感覚です。そして、特に日本人は弱い言われる嗅覚が最も鈍感とされます。
その中間で味覚、触覚そして聴覚が争奪戦を演じるわけです。

これら3つの感覚は直接的に比較されることは少ないのですが、味覚産業には飲料、食品、嗜好品など、様々な産業がひしめき合っており、音楽産業程度しか存在しない聴覚よりも消費規模が大きいのが特徴です。単純計算で味覚産業は15兆円。対する音楽産業は8,000億円。20分の1です。

かなり乱暴なもの言いをします。人間はより「偉いもの」により大きな価値を認め、その価値がお金に換算できるとするならば、味覚は聴覚より20倍も偉いのです。

一方の触覚は産業こそ少ないものの、人間で最も敏感な部分と言われ、聴覚の鈍感さより上位です。
同じように市場規模換算をすれば、触覚産業はセックス産業という強い味方がいるので、いきおい10兆円の水準にまで上がってしまいます。

では、本当に聴覚は嗅覚と並んでランクの低い感覚なのでしょうか。
そこで、聴覚の持つ機能をちょっと考えてみました。

聴覚に関する最も有名な心理学理論に「カクテル効果」があります。
これは、人間には聞きたい音だけを拾う能力があることを示したものです。
カクテルパーティのようにザワザワうるさいところでも、相手の話していることはきちんと聞き取れるというところからのネーミングです。

普通の人間なら気が狂いそうな騒音でも、例えば電車の高架下に住んでいる人たちにとっては、まったく気にならない「慣れ」もカクテル効果のひとつです。
聞きたい音だけでなく、聞きたくない音も遮断できる、つまり鈍感になれるのが聴覚なのです。
考えようによっては器用な能力ですが(笑)

ところが、それ以外にきちんと聴覚を研究した形跡がないのです。
いや、どこかで私が見落としているのでしょうが、「簡単には」見つけられません。
せいぜい「小ネタ」として、いくつかの心理学実験が見られる程度です。

その「小ネタ」に共通しているのは、聴覚は補足的にではあるものの、人間の情緒やイメージに大きく影響を与えるという結果です。
例えば、ある文章を読み上げて被験者に覚えてもらうときでも、音楽があった方が記憶されやすいことがわかっています。

また、こんな実験もあります。
男性被験者に10枚のヌード写真を渡します。そして、「興奮の度合いを測定する心理学の実験だ」と嘘をつき、測定用のコードを頭や身体に張りつけておきます。被験者は別室にいる実験者からのマイクでヌード写真を見るように指示されます。
同時に、もう一つ嘘をついておきます。
「この測定機械はかなり老朽化しているので、あなたの鼓動がスピーカーから漏れてしまうかも知れませんが、それは気にしないように」

測定機械は実験には何の関係もありません。
本当の狙いは、スピーカーからはわざとテープに吹き込んでおいた鼓動を、10枚の写真のうち何枚かをめくった時に流すことなのです。

偽りの実験が終わると、「お礼にこの中から好きな写真を持っていって良い」と写真を選ばせます。すると、わざと鼓動を流した写真を「気に入った写真」として持ち帰る人が圧倒的に多いことがわかりました。
実験者が流した鼓動を自分のものだと勘違いした被験者は、本当は心臓が高まってはいないはずなのに(鼓動を聞いているうちにその気になった人も含め)、自分がその写真を見て興奮したのだと思い込んでしまったというわけです。

この実験は本来「心理に影響するのは、理屈が先か肉体的な変化が先か」というテーマを証明するためになされたものですが、聴覚の持つイメージに対する影響を証明する実験としても有名です。

音を大事にする現場

耳実務社会でも聴覚はクラシック音楽の世界を除いて、きちんと系統だった研究がなされることは少ない分野です。せいぜい、「1/fのゆらぎ」の法則や、音薬効果として音楽を医療の現場に応用して治療することが一部の医師で研究されているにすぎません。

聴覚でメシを食っているはずのラジオ局や民放連などが、まじめに研究をしているかと思いきや、そんなところに投資する酔狂なマスコミはいないというところでしょうか、まったく影も形もありません。
だからといっては何ですが、一部営業職などクルマの運転が日常の人たちやFM局の一部の若者向けを除いて、広告業界でもラジオCMの地位は決して高くありません。

しかし、現場で活躍している人たちの中には、経験的に聴覚の重要さを知っている人が数多くいます。
ある昼ドラ番組のプロデューサーと雑談をしていたときのことです。
15年ほど前のその頃は激しいベッドシーンが話題になっていた時でした。

プロデューサー「森さん、昼ドラって最近ベッドシーンが過激だって言われますよね。でも、昼ドラとポルノ映画との違いって何だかわかりますか?」
「え?おっばいが出るとか出ないとか?」
プロ「いえいえ、昼とは言っても乳房くらいは出しますよ」
「うーん。腰の動きを見せないとか」
プロ「それも出します。だから過激だと言われるんです」
「いやいや、降参です」

プロ「実は、声なんです。喘ぎ声。
これがあるかないかで、生々しさが全然違ってしまうんです。
だから、テレビではいくら過激に演出しても、声だけは絶対に流しません。
嘘だと思ったら、成人映画館で耳栓をしてスクリーンを見てご覧なさい。
味気ないことおびただしいですよ」

実にその話が面白かったので、早速その足で映画館に行ってみました。
当時、まだ28才だった私は、耳栓をしていても女性の裸に視覚的に興奮してしまい「うそだぁ」と思った経験があります(笑)

確かに良く考えたら、ビデオがない時代のあやしい大人のおもちゃ屋さんには、盗聴テープと称してラブホテルのカップルの音声テープが売られていました。その後も、ダイヤルQ2のアダルトものは音声だけでした。
実際、今現在、この年になってアダルトビデオを音を消して見ると、面白くも何ともありません。家庭内でもめ事がおきない程度に実験してみることを、皆さんにもお勧めします。

そういえば、もう1つ「小ネタ」を思い出しました。
感覚のどれが性的興奮に影響するのかを実験したアメリカの大学がありました。
結論から言えば、男女とも触覚がトップ。
興味深いのは2位です。男性が視覚なのに対して女性は聴覚でした。

ビジネスの世界でも聴覚は重要視されることがあります。
プレゼンテーションでは、説得に影響する要素はトップが影響度約40%の視覚であることは他の例と変わりませんが、2位が20%強で声のトーンや話し方なのです。ちなみに、話の内容は10%程度。半分しかありません。
プレゼンテーションがうまい人に演劇部出身者が多いのですが、こんなところにもその優位な部分が潜んでいます。

広告の音楽

ラテンことほどさように、聴覚は補助的といえども重要な役目を果たす感覚です。
この感覚をなめてかかると、ろくなことはありません。

そういった視点から見ると、サントリー「ごめんね」の音楽はどうでしょうか。
「ごめんね」は唱歌の調律を使い、さわやかだけどどこか懐かしい(商品の味の)雰囲気を巧みに表現しています。

その音楽が支援している映像が、海岸に面した田舎町の女子高生たち。
日焼けで顔の黒いコギャルではありません。ましてや、制服を腰で巻いてミニスカートにしている連中でもありません。
昔ながらの清純イメージを守っている「正統派」女子高生です。
さすがサントリーです。正攻法だけど極めて効果的な音の使い方です。

【注】「サントリーごめんねCM」海辺編(2013年7月5日追記)

ごめんね以外に私が音楽を評価している最近の広告に、キリンの「淡麗<生>」とヤマサの「こんぶつゆ(濃縮タイプのだしの素)」があります。
淡麗はアコースティック・ギターとラテン系の音楽がビールの持つ爽快感を強調し、生活者の評価も高いCM音楽のひとつです。

「こんぶつゆ」は板前役の芦屋雁之介が、嬉しさを隠せないという感じで口ずさむCMソングが印象的です。

「こんぶ、こんぶ、こんぶつ~ゆ
こんぶを ぎょうさん 使こてるね(…ヤマサ)」

これらの音楽は商品の質や訴えたい特徴(さわやかさ、うまさ)を的確に伝えている好例です。

【注】「ヤマサ昆布つゆCM」記事中のものとバージョンが違いますが、同じ芦屋雁之助が出演しているものです(2013年7月5日追記)

従来の広告理論にない「リズム」を重視して成功したのは、元電通の佐藤氏の手がけた一連の広告です。「バザールでごさーる」「スコーン、スコーン小池屋スコーン」「モルツ、モルツ、モルツ」等、切れの良いリズムは独特の聴覚効果を持っていると言って良いでしょう。

広告での音は音楽だけではありません。効果音もかなり重要です。
サントリー・ウィスキーの広告には必ず、氷が溶けた瞬間にグラスとぶつかる「カラン」という音が挿入されています。
たばこのマッチを擦る音、ビールの栓を抜いた音も同様に「お約束」です。

一時期、賛否両論が激しかった永谷園のお茶漬けの「ズズッ」という音も効果音の範疇です。
前出のテレビプロデューサーではありませんが、これらの広告をビデオにとって音を消すと、映像だけではその味気なさがはっきりとわかります。

また、私自身、メーカー時代にいくつもの広告制作を担当しましたが、できあがったフィルムにかぶせる曲を変える度に、全体の広告のイメージがガラリと変化する様を何度も見てきました。
皆さんも家庭でビデオにとった広告にいろんな曲をCDから流してみると、おもしろい実験ができます。

オススメは前出の淡麗<生>にボサノバです。アストラット・ジルベルトの「イパネマの娘」が最高です。アントニオ・カルロス・ジョビンの同曲ではいけません。あくまでもジルベルトの…
あ、す、すみません。個人的な趣味に走ってしまいました。
スローな曲であればお好きなもので結構です。

または、私の年代なら横浜銀蝿の「つっぱりハイスクール・ロックンロール」もオススメです。笑えます。
…また趣味でした。反省します。

ことほどさように、イメージに影響する音は個人の嗜好に作用するものでして…
すみません。言い訳です。

永谷園のお茶漬けとモノマネ広告

お茶漬けちなみに、個人的に言えば、あの永谷園のお茶漬けの広告は「買い」です。
食べるときの音を主役にした広告は今までないインパクトがあります。
しかも、そのインパクトは野球選手にタキシードを着せて、野球場を走らせるような「商品とはまったく関係ない」無意味なモノではありません。あくまでも、商品、つまりお茶漬けのおいしさを訴求する延長上です。
妙なひねりやあざとさはありません。
そして、登場する担当広告代理店、東急エージェンシーの若い営業マンも一心不乱にお茶漬けを食い入るだけ。そこにはプロの演技も何もありません。実にストレートです。

【注】「永谷園のお茶漬けCM」(2013年7月5日追記)

非難すべきは、永谷園の成功にすぐに追従した他企業の安直な姿勢です。カゴメ・トマトジュース、森永ビスケット等、まったく同じコンセプトで、飲む音や食べる音だけを広告で強調したものです。

これらの後追い広告は、モノマネがあざとく露呈しているだけではありません。
永谷園では、一心不乱な若者がおいしさを音とともに相乗効果を上げています。広告として、全体が訴えかけています。

一方のニセモノ広告はトマトジュースを飲んでいるだけ。ビスケットに至っては唐沢某がスタジオで食べているだけ。おしいそうでもなければ楽しそうでもない。淡々とした表情で食べているだけ。
いや、むしろ、ビスケットの音が響くと、
「飲み物もないのにかわいそう。さぞ、口の中がパサパサしているんだろうな」
という感覚さえ持ってしまいます。
同じ「だけ」でも、訴えるものが何もないのです。

これらは広告としての完成度が低いだけでなく、アイデアをそのまま流用する独自性のなさが問題です。この案を提出した広告代理店を責める前に、この案を採用したメーカーの広告宣伝部を責めるべきでしょう。

「この程度の案で大丈夫だろう」と広告代理店にたかをくくられているのは明白ですが、本当に「たかがくくれてしまった(笑)」というところからも、広告代理店は正しいのです。
代理店は鏡のようなものです。きちんとした見識や、たとえ知識がなくても真剣に仕事に取り組んでいるクライアントには、妙な案は出しませんが、いい加減なクライアントにはいい加減な案しか出しません。
もし彼らを責めるなら、それは天に向かって唾を吐いているようなものです。

いや、もしかしたら、この案が採用されて一番びっくりしたのは当の広告代理店かも知れません。

クリエータ「お帰り。で、どうだった?プレゼンの結果」
営業「採用。決まりだよ」
クリエータ 「おおお、良かったぁ。あのC案さ、ちょっと空気感出すの難しいんだけど、何とかなると思うんだ。で…」

営業 「いや、C案じゃない…」
クリエータ 「あ、A案ね。あれなら、黒沢スタジオでバーンとやれば、大丈夫だよ。特殊メイクに時間がかかるけど。モデルとの契約、大丈夫かな、撮影が夜中にかかるとモデル事務所がうるさいからなぁ…」

営業 「いや、A案でもない。つまり、B案…」
クリエータ 「あ、そう。あれだと簡単だから…え?B案?う、ウソでしょ?だって、あれは捨て案で…」

見てきたようなことを書いていますが、実際は見てません(笑)
プレゼンに同行しない担当クリエータなんて、いませんもの。
でも、こんな会話があってもおかしくはないでしょうね。

もう一つの音楽

話を進めましょう。
広告での音の最後はサウンドロゴやジングルと呼ばれる音楽です。
ジングル・ベルのジングルです。
商品名をナレーターが言うのではなく、音楽に乗せて伝える手法です。先ほど、音楽と一緒のほうが記憶に残りやすい心理学の実験があるとお話しましたが、これの応用です。
一時期、時代遅れの手法として80年代は嫌われていましたが、90年代から復活しました。

「おなかがすいたら、スニッカぁ~ズ」
「メリぃ~ズぅ」

等がそれに当たります。
派生形として、

「(ちゃら~ん)It’s a Sony」
「エ~ヌ、ティ~、ティ」

というように、音楽のようなしゃべり方もあります。

音としてのネーミング

バーガーロゴさて、商品にまつわる音の最大のものは商品名(ネーミング)です。

ネーミングには大きく分けて2つの分類があります。
1つは、意味がないまたは分からない単語を使う。造語も含みます。
コダック、RX-7、ゼクシィ、カルカン等です。

もう1つは意味のある単語を使う。これには造語も含みます。
「モバイルギア」「通勤快足」「カゴメ・キャロット100」「(ユーノス)ロードスター」等々です。
派生系として、単語ではなく文やフレーズの場合もあります。
「ゆでたお肉と野菜のサラダ」(エバラ)、「午後の紅茶」等です。

意味のある単語の場合、商品特性を何らかの形で訴えているのが普通です。
モバイルギアは「モバイル(動く)」「ギア(道具)」
カゴメ・キャロット100は「カゴメが作った」「キャロット(ニンジン)」「100(%のジュース)」という具合です。

ただし、耳に親しみのある単語を使用しているけれど、意味として商品特性を表現しているわけではないものもあります。
例えば、たばこのキャスターの「キャスター」には

●ワゴン等の車輪(キャスター)
●解説者(ニュースキャスター)
●食卓の薬味を入れる容器

のような意味がありますが、たばこのキャスターとはまったく関係ありません。

第一、ラークなんて翻訳すると「ひばり」ですから、日本人にとってはなんとも情けない感覚です。少なくとも007ジェームス・ボンドのおっさんが出てきて

「スピーク『ひばり』」

なんてセリフをはいても、迫力も何もあったのではありません。

【注】「Speak LarkのCM」(2013年7月5日追記)

ただ、アメリカ人にとって、「ひばり」という鳥は日本人のイメージと違うようです。
SFのスペースオペラ(スターウォーズのような宇宙冒険活劇)で有名な作品、E.E.スミスのスカイラーク・シリーズには「ひばり」の持つほのぼの感はありません。むしろ、スピード感たっぷりの作品です。
日本のファミレスの「すかいらーく」(「ひばり」の絵がキャラクターです)とはまったくイメージが違います。

ラークは日本人向けにネーミングが考えられた訳ではないので、ここでは対象としませんが、キャスターは意味というよりその「音」が持つ軽やかさから商品の特性を表現したものです。

意味と音の取っ組み合い

恐竜さて、サントリー「ごめんね」に私が違和感を感じるのは、謝る意味を持つ単語と清涼飲料水のイメージが水と油のように分離しているせいもあります。
加えて、音の面からも商品の特性をまったく感じないのも大きな原因です。

語感にはイメージがあります。
サ行はさわやかさ、カ行やタ行は力強さ、マ行やハ行は優しさ等です。
たとえば、

ゴンザレス

という名前を聞くと、何となくいかつい大男でひげでもはやしているイメージが浮かびます。
映画スターウォーズでお馴染みの悪の帝王

ダースヴェーダー

もそれらしい名前です。

その理由は濁音にあります。
ゴンザレスの場合、力強さのカ行の「コ」に濁点がついて、「ゴ」。
もっと音が強くなります。
しかも「ゴ」ン「ザ」レスと濁音が2つも続き、それを打ち消す役割をする「い段(いきしちに…)」もありません。
ダースヴェーダーも強いタ行の「タ」に濁音があり、合計3つの濁音が見られます。

この法則は怪獣映画で多用されています。

「ゴジラ」「(キング)ギドラ」「ラドン」「ガメラ」「ゼットン」「ダダ」

東宝映画の主役級の怪獣では、珍しく「モスラ」がこの法則を持っていません。
ゴジラ・シリーズの中でモスラが唯一正義の味方の役割を与えられているのは、ネーミングに表れているモスラのキャラクター設定(善玉、悪玉というのはではなく、神聖な守り神が間違って東京に来てしまった)によるところが大、と言って良いでしょう。

一方の、女性的なネーミングでどうでしょうか。

アムネリス、リーファ

というと優しい女性のイメージです。
特にこの女性の名前は、私が隠れファンの中島梓作品「グイン・サーガ」シリーズの登場人物ですから、実際に存在する可能性が少ないのにもかかわらず、そんなイメージがわいてきます。
(「じゃあ、イシュトヴァーンは何なんだ」というマニアの突っ込みは禁(笑))

ア「ム」「ネ」「リ」「ス」には、

●「ム」と「ネ」が優しさ
●最後の「ス」はさわやかさ
●シャープな語感のい段の「リ」

があります。
いかつい語感や強さはどこにもありません。

ここで延々とネーミングと音感の話をしても仕方がないので、先に進みます。
「ご」めんね、は最初に濁音が来てしまっています。
すでにこの段階で広告が伝える「さわやかさ」は期待できません。
しかも、「めんね」のいずれの音もさわやかさを感じるサ行やシャープさを感じる「い段」がないのです。「め」も「ね」も優しさだけです。

すると、「ごめんね」の音感は人間で言えば

●いかつい男だけど、根は優しくてホンワカした人

という印象になります。
とてもではありませんが、サントリーが訴求したい海岸の町を女子高生が走る、さわやかで清らかな青春とはマッチしません。

ましてや、原因もないのに「ごめんね」と謝られては、私たちの頭の中でバッティングしっ放しです。
(ちなみに、今流れているバージョンでは先生役の女性が「ごめんね」と謝っています。これからストーリーが続くのでしょう)

商品設計と広告のアンバランスが、長期的な売れ行きに影響しなければいいのですが。

意味と音の失敗例

太陽系正直に言えば、飲料はネーミングの失敗程度で商品が失敗するほど、ネーミングの影響が大きい分野ではありません。でも、コンセプトに関わる問題となれば話は違いますし、ましてや、ネーミングに注意を払わない開発担当者が、デザインなどの他の要素にきちんとした配慮をするとも思いにくいのも事実です。

うさぎ、という具象的なものが意味するデザインも、ネーミングが意味を持っていない商品なら(例えば、「メンネイ」)「デザイン的なポイントだな」と、気にすることもないでしょう。

しかし、ネーミングが意味持ってしまっている「ごめんね」ではうさぎのイラストが、「固有の意味がありそう。でも、そうでないことは分かっている」、というぶつかり合いが頭の中で起きてしまいます。
「一時が万事」ということわざはバカにできません。

ネーミングの意味で失速した事例を1つ上げましょう。
失敗例なのでご存じの人は少ないと思いますが、私が良く出す例にたばこのコスモスがあります。日本専売公社から日本たばこになった記念すべき第1号の新製品です。
別名パーラメント対抗と言われるだけあって、斜めのブルーのラインはパーラメントに良く似たデザインです。フィルターの特殊な仕掛けもパーラメントと同じ。もちろん、パーラメントと同様の100ミリの長さのスーパーキングサイズです。

日本たばこはコスモスという名前を、当時話題だったカール・セーガン博士の「コスモス(宇宙)」のイメージで作ったことは明白です。ブルーを基調としたデザインもさることながら、テレビ広告は宇宙でシルクハットをかぶった紳士がゴルフをするという設定です。全編CGで作った日本で最初の広告とも言われます。

【注】「コスモスCM」(2013年7月5日追記)

ところが、一般の日本人がコスモスと聞いて思い浮かべるのは、花のコスモス「秋桜」です。80年代アイドル山口百恵の最大のヒット曲が「秋桜(コスモス)」であることも無関係ではありません。

すると何が起こるか。
コスモスと聞いて生活者は花を一瞬、思い浮かべます。
でも目の前にあるのは花のコスモスとは程遠いデザインと広告。
こうなると、軽い潜在的パニックが起こってしまい、普段なら宇宙を思い出せる人でも、思考が止まってしまいます。
頭の中でコンセプトのバッティング現象が発生するのです。

味の問題もあったのでしょうが、コスモスの売上げは地を這うように低迷したままです。
しっかりしたネーミング調査に定評のある日本たばこには、珍しい失敗例です。

本当のインパクトとは

天下のサントリーです。つい最近、民間企業になったJTとは訳が違います。JTの社員が「勉強してこい」と、出向派遣されたこともあるサントリーです。
鋭い感性に評判が高いこの会社が、音について鈍感なハズはありません。

「いや、森さん、これは、『訳の分からない広告を流して、消費者に興味を持ってもらう』作戦ですよ。
商品名も今までにないタイプなのでインパクトがあるし、覚えてしまうじゃないですか」

ミスマッチ感覚が一時期流行ったことがあります。1980年代です。
その中で今でも残っている商品は1つもありません。

エリマキトカゲミスマッチによるインパクトは、それが商品の本質に関わるものであれば、時が経つに連れて、傍流から主流になる可能性があります。
「二本箸作戦」と名付けられた、サントリーの和食料理店でのウィスキーの促進キャンペーンは、昭和40年代の当時ではありえなかった「ミスマッチ」でした。和食には日本酒が当たり前。洋酒であるウィスキーなんて考えもしなかった時代だったからです。

しかし、とってつけたような、商品とは関係のないミスマッチは、花火のようなものです。その時には話題になっても、それでおしまいです。
クルマの広告にエリマキトカゲを登場させて、広告の賞を取るくらい話題になったとしても、その車名を覚えていないのでは意味がないのです。

【注】「エリマキトカゲCM」(2013年7月5日追記)

もうひとつコメントしましょう。
今の生活者は「訳の分からない広告」を見て、不思議がって話題にするほど暇ではありません。情報は溢れ返っています。そんな中で、わざわざ「訳が分からないから、それを知るために1つ買ってみよう」という生活者はいません。
「ふーん。そう」で、おしまい。

それは昔、つまり、商品も情報も少なかった時代の幻影です。
あるいは、企業が「そうあって欲しい」という願望が、判断の狂いを生じさせているだけです。

百歩譲って、サントリーがインパクトだけを狙い、短期勝負にでたとしましょう。
だとすると、あの広告の費用は商品の利益率を下げるだけです。
そんなことをする余裕があるのなら、もっとやることはたくさんあるでしょう。
サントリーはウィスキー市場では一流、トップですが、清涼飲料水市場ではまだまだ2番手なのですから。

名脇役になるか、音と聴覚

音、というテーマから出発した今回の記事でしたが、結局、メーカーが生活者をきちんと見すえているか、ナメているか。この問題に行き着いてしまいました。
いや、言い方を変えれば、音という一見脇役の存在にきちんと注意を払えば、名脇役になって主役を本来の魅力以上に引き立ててくれる。これが分かるだけの繊細な企業であるかどうかが、明暗を分けることもあるのです。

本当のおしゃれは人の見えないところに気を使うかどうかで決まるといいます。
おしゃれ度合いは

「洋服」→「バッグ等の小物、アクセサリー」→「靴」

の順位を持っています。

自分では見ることが少ない、鏡では気がつくことが少ない靴。
足元への配慮こそがおしゃれの達人です。
マーケティングにおいての音は足元です。
くれぐれも、足元をすくわれないよう、大切にすることをお勧めします。
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