読者の声 : 99.8.22号 (5/6)

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自己を否定する勇気のしるし【セイコーとシチズン】 99.8.1 掲載

 <Furukawaさん> 【OEM供給の話が出てくると思っていました】

        「かなりおもしろい」99.8.13

記事の中にOEM供給の話が出てくると思っていましたが、なかったようですね。
両社は「ムーブメント」としてアジア各国の時計メーカーに提供しています。
この話も供給を決定しようとする時に、なんで同業メーカーに協力することや安価な完成製品が輸入されて首を絞めることをするんだと強烈な反対があったそうです。
でも、市場飽和状態を打破するためと国際的な性能としての評価、ブランド住みわけが可能と判断して決定したそうです。
そこには「自己を否定する勇気のしるし」が存在していたと思います。


【お返事】

>記事の中にOEM供給の話が出てくると思っていましたが、なかったようですね。

セイコーとシチズンの売上個数のところで、密かに触れました (笑)
分からないように挿入していましたから、分からないのは当たり前ですね (笑)

「部品供給メーカー」としてのセイコーとシチズンの話をしなかったのは、紙面の都合と1冊のメルマガでは「マーケティング初心者にとって」話が複雑になりすぎるからです。

草稿では存在していたのですが、削除しました。
その内容は一言でいえば「部品メーカーとして安定した売上に安住して、進化の重要さを忘れると、部品そのものの需要すらなくなってしまう」というものですので、いずれにしても良い話ではありません。

>でも、市場飽和状態を打破するためと国際的な性能としての評価、ブランド住み
>わけが可能と判断して決定したそうです。

英断ではあったと思います。
「勇気」はあったとも思います。

>そこには「自己を否定する勇気のしるし」が存在していたと思います。

記事の主旨とはちょっと違うのは、視点が生活者だということです。
自己を否定した先に「時計は生活者の中には本来不要な邪魔者なんだ」という結論がなければ、いつまでたっても、私たちは両社から「わくわくどきどき」が得られないだけでなく、セイコーとシチズンは世の中にいらない会社、もちろん、彼らが部品を供給している時計メーカーも社会に不要な会社となってしまう、ということを警告する意味がありました。

従って、「時計ありき」という前提認識の中で、「その売り先をどうするか」という OEM の話は、比較的小さな勇気です。少なくとも自己の存在の有無を脅かす勇気ではありませんでした(自己の規模の多少、という観点はあったにせよ)

事実、読者の中にも「携帯電話の時計機能があるので、時計をすることが少なくなった」という指摘が相次ぎました。
こうなると、部品メーカーとしてのセイコーとシチズンですら、いや、部品メーカーの彼らだからこそ、「時計」という商品をきちんと見据えないと、とんでもないことになると考えています。

 <しいさん> 【納得いかない部分が多かった】

        「ややつまらない」99.8.09

評価は↑ですが、導入部分はいつもながらですが大変そそられる面白いものでした。だからつまらないというよりは、何故か納得いかない部分が多かったのでその評価だと思ってください。

納得いかなかったのは何故か。

マーケティング的に面白くないのが、夢を感じないのが、進化を止めたのが、時計業界なのかセイコー・シチズンなのかが不明瞭な部分があったからではと思います。

Vの「安いものか一生モノ」の2極分化は、小回りも効かないしロレックスにもなれないセイコー・シチズンに特に不利、ということでしたが、これはアクセサリー業界と比べたときの時計業界そのものの構造的問題と考えられなくもありません。IVで述べられているとおりですね。

しかし、ロレックスもアクセサリー業界として成功しているとは言い難いと思うのです。もちろん時計業界としても。

そう考えると、アクセサリー業界に喧嘩を売って時計の複数保持へ社会を動かしたセイコーは、『今はムーブメント売りに徹している』と考えれば非常にうまいことしたなあ、という感じがするのですが。ムーブメントとしてのブランドイメージはおっしゃられているように最上なので、広告費もかける必要ないでしょうし。

勝ち目のないアクセサリー業界での時計、とは言いますが、スウォッチやD-SHOCKはアクセサリー的観点がなければ多分生まれなかった需要だと思うのです。時計業界としてはアンクレットの代わりに時計を買う、といった流れを作った直接の成果だと思います。

あ、確かにそこにはセイコー・シチズンは(多分)からんでいませんが、それこそ『長い目で見ると時計はアクセサリーには勝てない。だからこれは一過性のブームに過ぎないので傍観』というしたたかなセイコー・シチズンの戦略が見え隠れします。
時計業界として市場が拡大すれば、ムーブメントメーカーとしてのセイコー・シチズンが儲かるようなからくり(特許とかで)があるとか…穿ち過ぎでしょうか?

個人的に今回考えたのが、『携帯電話』と時計の役割分担です。
いまや5000万台普及の携帯電話にはご存知の通りもれなく時計がついています(笑)
「携帯あるから時計要らないんだよね」はよく聞く話です。
時計業界にとって携帯の恐ろしいところは、ネットと親和性がいいことです。
何故かと言うと、ネットにはタイムサーバーという正確無比な絶対時計がありますので、それにシンクロするようにすればどんな精度の高いムーブメントもかなわないからです。(精度需要があるかどうかは別にしまして)“商品そのものの存在すら危うくなる”というのは、森さんのおっしゃられている通りだと思います。

セイコーがSIIなどに投資してるのはそういう裏があるのではと思ったりします。


【お返事】

>マーケティング的に面白くないのが、夢を感じないのが、進化を止めたのが、
>時計業界なのかセイコー・シチズンなのかが不明瞭な部分があったからでは
>と思います。

ごめんなさい。
これは、私の文章構成力のせいです。

ここで解説させて頂ければ、こんな構造を意図していました。

●「夢を感じない」=つまらない
   ↑●「進化を止めた」から
 ↓
 ↓●それは時計業界全体の傾向
   ↓●その象徴は「セイコー・シチズン」。この両社がやらなければ誰がやる

>そう考えると、アクセサリー業界に喧嘩を売って時計の複数保持へ社会を動
>かしたセイコーは、『今はムーブメント売りに徹している』と考えれば非常
>にうまいことしたなあ、という感じがするのですが。

もし、ムーブメント・メーカーとして成功したのが、ご指摘のように完成品のブランドイメージの結果だとすれば、完成品のブランドイメージの失速や拡散はいずれにしてもムーブメントにネガティブインパクトとして返ってくるのではないでしょうか。

また、もし、ムーブメント・メーカーとして考えれば、「なぜ時計も着替えないの」キャンペーン以外にも、全体の個数を増やすマーケティング活動を実施しなければ自社の成長はありません。その動きがない現在、「過去の遺産にあぐらをかいて進化していない」というのは、ムーブメント・メーカーとしても当てはまります。

>時計業界としてはアンクレットの代わりに時計を買う、といった
>流れを作った直接の成果だと思います。

ご指摘のとおりです。
ただ、そこには、「アンクレットの代わり」=「時を知る機能は必要がない」という根本的な問題が解決されていません。

>『長い目で見ると時計はアクセサリーには勝てない。だからこれは一過
>性のブームに過ぎないので傍観』というしたたかなセイコー・シチズンの戦
>略が見え隠れします。

スウォッチやカシオの動きにセイコー・シチズンが裏で絡んでいるとすれば、そのご指摘は正解です。が、「棚からぼたもち」的な静観は戦略でもマーケティングでもありません。
「ふと気がついたらバブルの波に乗って、売上が上がったけど、はじけたらリストラしなければどうにもならなかった」不動産業や銀座の高級バーのようなものです。
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結局、夢がないというのは、企業が努力していない、あがいていない。だから、先が見えない(=ない)。それが今回の記事の根本に隠れている主旨です。

人間だって、若い人たちが(一般的に)なぜ夢があって、年をとると夢を感じないのかというのは、若い人たちは動き回って、現状を何とか打破しようとするエネルギーがあります。一方で、大人は「夢を忘れるために」酒を飲んだりするじゃないですか。

いまのセイコー・シチズンにはそんなエネルギーが感じられないんです。
両社内部に社員としてそういう方がいたとしても、それを外部の生活者が感じることができなければ、「ないのと同じ」です。
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>それにシンクロするようにすればどんな精度の高いムーブ
>メントもかなわないからです。(精度需要があるかどうかは別にしまして)

大変鋭いご指摘です。
ろうそくが電球に負けたように、商品としての根本的な競合相手が成長してきている現在、彼らに残された時間は少ないと思っています。

>セイコーがSIIなどに投資してるのはそういう裏があるのではと思ったりし
>ます。

はい。ご明察です。
ある意味、セイコー・シチズンは時計業を放棄しています。

今回は触れませんでしたが、唯一、セイコー・シチズンの行動に納得が行くとすれば、「デ・マーケティング」です。つまり、撤退をできるだけスムースにするためのマーケティングです。

それなりに利益がある、でも、市場として将来性はない。だから、最終的には撤退を考えるものの、いきなり行動したのでは、設備投資や市場に与えるインパクト(流通等)が強すぎるし、自社の売上も一時的にではあれ下がってしまう。

だから徐々に手を引くための戦略手法がデ・マーケティングです。
方向としては、「脱たばこ」の JT がそれを志向しています。

でも、この場合、旧来の商品を引き継ぐ事業がなければなりません。また、旧来商品の利益を、新規事業に投資する必要があります。
JT もセイコー・シチズンもその受け皿がないために四苦八苦しています。

じゃあ、セイコー・シチズンが真剣にそれを目指しているのか、というと SII への中途半端な動きや同じグループ企業のセイコーエプソンとのバッティングを含め、あまりにも無駄と思い切りの悪さが目立ちます。

ソニーの会議用のテレコや松下のアイロン等、商品としては終わったものですが、競合がいない(少ない)ので、利益は真っ黒です。
でも、両社はご存じのように先へ先へと進化を続けています。
いや、コードレスアイロン等、旧来商品の進化も実は忘れていません。
それと比較するとセイコー・シチズンの戦略的な貧弱さがわかろうというものです。

「結局、完成品、ムーブメント、新規事業、デ・マーケティング、どれもこれも中途半端で、一体何がやりたいの?」
とツッコミを入れたくなるのが、セイコー・シチズンなのです。

 <匿名さん> 【進化した携帯電話に時計は駆逐されるかも】

        「かなりおもしろい」99.8.07

確かにここに書かれた通りだと思います。
私も、時計はしていません。ベルトと金属の感覚が肌にまとわりついて、嫌なのです。
それに、もし身につけるならばデザインのいいスウォッチのようなものかG-Shockがいいと思います。携帯に時計がついているので、時間は分かりますし。
そのうち、進化した携帯電話に時計は駆逐されるかもしれませんね。

 <境さん> 【スウォッチはやっぱり良いと言う感想を持ちました】

      「かなりおもしろい」99.8.06

私は10年ほど前からスウォッチを使っています。その為今回のセイコーシチズンの記事を読みながらも、無意識に自分に身近なスウォッチを当てはめて読んでいました。
そうしたらスウォッチはやっぱり良いと言う感想を持ちました(笑)

私はもともと時計にそれほど興味がある訳ではありませんでしたが、初めてスウォッチを知った時には物凄く欲しいと思いました。その理由としては以下3点です。

1.スウォッチのデザインがあまりに楽しかった。
2.スウォッチがとても安かった。
3.たくさんの選択肢があった。

1.は身につける物はデザインの良い物を持ちたいという思いですが、デザインに新鮮さが無いと興味すら持たなかったでしょう。
2.はその心を引かれる様なデザインが今までの時計ほど高くないという事。
3.の選択肢と言う点では機種それぞれに機能を特化させていたモデルが多く、思わず集めてしまいたくなる。

そして現在でも集めるような事はありませんが、新しく「進化」したモデルを見たりすると思わず欲しくなってしまいます。それはその時使っているモデルにちょうど飽きたころなのです。

ですからセイコー・シチズンと言えば私から見れば、何をしているのか良くわからない会社です。腕時計に関して言えば、何の価値も感じませんし、せっかく腕にはめているものが機能だけのつまらない物なんて・・

ちょっと前に人に「あなとにとって時計とは?」と言う質問を受けた事があります。
私はあまり心理テストみたいなものは好きではありませんが、その答えは時計が異性をあらわすと言う物だったのがちょっと印象的でした。
マーケティングの勉強の場でこういう事を言うのもなんですが、セイコー・シチズンの人たちにとって「時計とはなんでしょうか?」
趣味的な部分が多分にある時計は、作っている人達のこれが好きだという気持ちが見えてこないとなかなか積極的に欲しいとは思えません。もしかしたらセイコー・シチズンもそんな時計を作っているかもしれませんが、知られてなければないのと同じですよね。


【お返事】

>そうしたらスウォッチはやっぱり良いと言う感想を持ちました(笑)

そういう読み方もアリですよね。
自動車の広告を最も関心を持って見ている人は、その自動車を買った人だという調査結果があります。「やっぱり私はこれを買って良かったんだ」と納得したい心理です。
それと、似ているのかも知れません。
もちろん、スウォッチが論理的に考えてもヒットする要素があり、それが証明できた、という側面もあります。

>そして現在でも集めるような事はありませんが、新しく「進化」したモデルを見
>たりすると思わず欲しくなってしまいます。それはその時使っているモデルに
>ちょうど飽きたころなのです。

正に、スウォッチの価値はそこにありますよね。

●「飽きることがある」
 (正統派の時計は「飽きない」ようにデザインされる)
●「飽きれば買い替えれば良い、と思える価格である」
 (正統派の時計は気楽に買い替える価格ではない)
●「実際に、『飽きたデザイン』と違った傾向のデザインが投入される」
 (正統派の時計は、デザインの幅が狭く、場合によってはコーポーレート・スタイル、つまり、例えばロレックス「らしい」がある)

セイコーが「たくさん持たせる」ことを狙ったのですが、持つだけならタンス在庫は溜まるだけです。
スウォッチは「捨てさせる」ことを促進した。
そうすれぱ、永遠に売りつけることができる。

このサイクルを維持するのは正直いって、大変なことです。
1つのロングセラーを作れば、製造コストはどんどん安くなりますが、短期のヒットはコストがかさむだけだからです。また、クルマにも見られますが、モデルチェンジに失敗すると次のモデルチェンジまで売上が急激に減少することもある。
また、モデルチェンジの隙間を縫って、競合が入り込むことがある。

企業活動として、安定化ということばとは、ほど遠い状態です。
実際、菓子業界がこれで自分の首を絞めて青息吐息だったのを、最近、「ブランドを育てる」ことで、安定化を図ろうとしているくらいですもの。

スウォッチはこれを世界市場という大きな規模で何とか解決しようとしています。
菓子業界が日本の市場だけで、スケールメリットを追いきれなかったのを、世界市場相手なら、なんとかコストダウンも図りようがあるわけです。

私が普段提唱している「ブランドの確立」という安定化路線とは、一見正反対に動こうとしているスウォッチは貴重なケーススタディなんです。

>私はあまり心理テストみたいなものは好きではありませんが、その答えは時計が
>異性をあらわすと言う物だったのがちょっと印象的でした。

他の読者にも同じ事をおっしゃた方がいらっしゃいました。
私は「外見はどうでもいいから中身」という感じなのでしょうね。
「1に性格、2に性格、3、4がなくて5に●●」
が私にとっても異性ですから、当たっていますけど (笑)

>マーケティングの勉強の場でこういう事を言うのもなんですが、セイコー・
>シチズンの人たちにとって「時計とはなんでしょうか?」

いえ、まったく離れているわけではないと思います。
同じ「人間の心理」ですから。
でも、それをビジネスにしている方にとって、その質問はちょっとかわいそうかも (笑)

>もしかしたらセイ
>コー・シチズンもそんな時計を作っているかもしれませんが、知られてなけ
>ればないのと同じですよね。

はい。
正にそのとおりです。
実は、記事ではああ書きましたが、セイコーもシチズンもちょっとした冒険やいいものも作っていたりするんです。でも、それは、一般の方には知られていない、つまり、ないものと同じなので、全部割愛しました。

それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。

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