readers' voice

「ひゅーひゅー」桃天は本当に売れる戦略か? 98.7.16 掲載

 <amigoさん> 【生理的言語ではなぜいけないのですか】
        「ややおもしろい」98.11.8


【お返事】

自分はこう考える、というご意見は大変大事です。
単に記事を読んでいるだけよりも、理解が深まるからです。
そういう点から、今回の amigo さんのご指摘は、私だけでなく、amigoさんにとっても、良いことです。これからも是非続けて下さい。
また、どんどん、「森さんは違う」と指摘下さい。それによって、自分の知識や感覚がブラッシュアップされる良い訓練になります。

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amigo さんのご質問にお答えする前に、一通り補足説明をさせて下さい。

私が、知名度が上がり、味が良くて、ボトルがニーズにあっていれば飲料は売れる、と断言しているのには理由があります。
生活者の購入に至る心理を解明した理論の1つに DAGMAR 理論というものがあります。
これは、以下のステップを踏むと説いたものです。

【知名】 → 【理解】 → 【好意】 → 【購入意向】

  → 【トライアル】 → 【レギュラー】

さて、人はまず商品の存在を知らないといけません。従って、「桃の天然水」があるということを知る必要があります。これが、知名です。

次に、「桃の天然水」は、透明なさっぱりした飲料だ、トモちゃんが CM に出ている等の商品特徴を知ります。これが理解です。

次は、その理解の内容に好意を持ちます。例えば、トモちゃんが嫌いな人は「桃の天然水」も好きでなくなってしまう可能性があります。また、「桃の天然水」がネクターのようなドロッとしたものだと抵抗を感じる人がいるかも知れません (実際、最初はこのイメージを持った生活者が多く、500mlペットで透明の中身が見えたのが売上増の原因だという指摘が JT 担当者のコメントが日経トレンディに掲載されています)。

単に、好き、なだけではいけません。買ってみようかな、という気になるのが次のステップです。飲料などのような少額商品の場合は、好意と購入以降がほぼ同じ意味になりますが、例えばクルマ等の高額商品は「ジャガーが好き」でも「買おう (買える)」とは思っていない、等の現象が生じます。

そして、1度試し買いをするのがトライアル、最後に定期的に買うのがレギュラーです。

飲料や食品の場合、商品の数が極めて多く、ひとつひとつに広告をきちんと打てず、自動販売機や店頭などの衝動買いに頼るケースが多いのが現実です。
だから、一時期、電通のプロデューサーである佐藤氏の広告が、今まで売れなかった商品をきっちりと売ったのです。例えば、ポリンキー、ドンタコス等、彼の広告はほとんど、商品連呼型です。これは、商品を作っても、イメージ広告だったり、アイドルがにっこりするだけで、商品の知名そのものが低かったのを、マーケティングの原則に戻して、知名度を上げたのが最大の原因です。
従って、「桃の天然水」は約20億円といわれる広告費が最大の功労だった、と考えているのです。

さて、味は置いて置いて、ボトルですが、ご存じのように500mlペットボトルは最近飲料業界で最大のヒットです。いや、コンビニ等では「500mlなら売れるのではなく、500mlでなければ売れない」とまで言い切っています。そして、早くから500mlを採用したのが「桃の天然水」だったというわけです。その傍証として、「桃の天然水」の缶の売上はさっぱりです。逆に言えば、もし、「桃の天然水」が缶だけの商品なら、こんなに売れていません (ちなみに、扱い自販機台数が少ないのも一つの原因ですが)。

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さて、amigo さんのご指摘はほとんどもっともな回答です。
ただ、それは、知名の次に来る理解に対してのものです。
従って、知名度がこれだけ上がる前のヒットの原因と言うより、これから「桃の天然水」がどれだけ売り上げを伸ばすか、という時のポイントだと考えています。

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>又、飲料の場合、最近主流の500PETだけでなく大型のPETも含め
>てスーパーで売ることも重要だろうから、母親・主婦が買いやすい事も売

ご指摘はそのとおりです。
ただ、ちょっと補足をします。

飲料や食品の場合、小さい容器と大きい容器では役割が違います。
小さい容器は「お試し用」「飲みきり、食べきり用」ですが、大きな容器は「家庭用」「買い置き用」です。
つまり、最も効率がよいのは、まず、小さい容器でレギュラー・ユーザーを掴んで、彼らを離さないために、大容量を出す、という形です。

特に、初期に大容量のボトルを出してしまい、需要が大容量に移るまでに数ケ月もかかってしまうと、スーパーやコンビニで「売れない」というレッテルを貼られ、棚から外されてしまいます。そうなると、「売れない」というイメージが付いてしまいますから、後から、「いや、売れるようになりましたから置いて下さい」と頼んでもバイヤー (購買担当者) は OK をしてくれません。

コンビニは下手をすると2週間で売れないと判断されてしまいますから、深刻です。
実際、「桃の天然水」の1リットルボトルが出たのが、確か1年半くらい後です。
これは、売れた後の後押し、という意味で重要です。

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>2)ネーミングの期待値と実感味覚のギャップの少なさ:

これは、トライアル後のポイントです。前述したように、飲料の場合、トライアル自体にたどり着くことが難しいのです。
ちなみに、「桃の天然水」の発売は97年3月です。
売れ始めたのが広告を始めた98年2月です。ここに、約1年間の泣かず飛ばず期間があります。ネーミングが売れた原因なら、97年からの1年間でもっと売れても良いはずですよね。

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>3)華原朋美+「ひゅーひゅー」広告:
>だって、飲料  なん
>て、ほとんど無意識選択に近い低関与・高頻度型カテゴリーでしょうから

正直言って、ちょっと混乱しています。というのは、amigoさんがここで、「商品理解など>ほど遠い的な見方」はどうか、とおっしゃている一方、「ほとんど無意識選択」とおっしゃっているし、とはいうものの「健康的なほの甘水系飲料」とも指摘しています。

とりあえず、私の混乱はよそに話を進めます。
生活者が無意識選択だと断言するのは極めて危険だ、とマーケティングでは考えます。無意識の中にもどこか必然性 (別な言い方をすれば、潜在意識) があり、それを解明することがマーケティングのひとつの課題です。

実際、「私はこう見る」市場導入戦略で、自分はメールマガジンを無意識に選んでいたと思っていたら、実際は違ったことに驚いた、という感想が多く寄せられています。この例でも分かるように、生活者の行動は読めるものだ、と仮定しなければ、作る方も「じゃあ、適当に人気のあるタレントを使って、話題にさえなればいいや」という現在の飲料、宿品の大多数の広告のようになってしまいます。

また、生理的言語については、少なくとも私の周囲のターゲットと目される年齢層と性別 (要するに10代後半から20代前半。でも、実際に「桃の天然水」はそれ以上にも売れていますが) には通じていません。というより、下でお話しするように、彼らが理解できない生理的言語がきっかけで、この記事を書くことになったのです。従って、「イマドキどうか」という感想を amigo さんが持ったのは、私がそうだからではなく、私がインタビューをした彼女達が amigo さんの言われる「イマドキ」ではない、ということを意味してしまいます。

> →もはやモノのブツとしての価値で差別化を理性に訴えてもダメで、要は生

なぜ「ブツとしての価値」がダメなのでしょうか。
「桃の天然水」がブツとしての価値がないからですか? それとも、飲料水そのものがそうなのですか?はたまた、今の商品全てにおいてそうなのでしょうか?
例えば、「桃の天然水」の場合、桃の味を飲料として扱ったものは少ないです。
少なくとも、「一般に知られている飲料」では、桃味のものは知りません。これは、差別化にならないのですか?

また、「ニアウォーター」は「桃の天然水」に限らず最近注目を浴びています。
サプリ、オープラス、ビタミンウォーターはそれぞれ販売量を伸ばしています。
これは、ヴォルヴィック等のナチュラルウォーターが流行ったものの、味がないので飲んでいてつまらない。かといって、身体に悪そうな飲料や100%果汁のようにしつこい味のものは結局好きではない、という層を取り込んでいます。

これは、ブツとしての価値ではないのですか?

>JTさんもやるじゃんって感じ

それは同感です。
JTもたばこ以外にようやく一般市場で認知された商品を初めて作れたのですから。

>が、ちょっとズルイやり方ですよね?論旨に都合の良い定性情報を散りばめる

これは逆です。
私はコンサルタントであって、エッセイストではありません。
従って、極力客観性を重視しますので、自分の論旨のために、事実を曲げたり、選別することはありません。つまり、論旨ありきではなく、事実ありきからの記事だということです。
元々、この記事を書く原動力になったのが、広告に対するネガティブな評価が多かったからです。

なお、自分の効いた範囲は統計的に証明できるサンプル数ではありません。ただ、まったく飲料とは別個の調査で、「桃の天然水」の広告の情報が入っています。それもベースにあったことを追記いたします。

>ましてや「広告では何だか商品特長が分からないけど飲んでみた」「この飲料
>のどこがひゅーひゅーなのか腑に落ちない」なんてトコまで深めた人は皆無で

自分で納得するために、周囲に話を聞くのは大変大事ですね。素晴らしいと思います。
ただ、今回の結果の違いは、インタビュー技術に追うところが大きいかと思います。

こういった深層心理を引き出すためには、それなりの技術と心理学の知識が必要になります。私はプロのインタビュアではありませんが、コンサルタントとして延べ3,000人のグループインタビューを経験しています。その時に、どういう質問をすれば、その人自身が気がついていなかったことを引き出せるか、を体得していますので、差が出たのでしょう。

>ってなコトでかなり長くなってしまいましたが、ちょっといつもの分析の鋭さ
>が欠けてらしたような感じがしましたので自分の意見という形で反論?させて

いえ、実は、「桃の天然水」あたりは、まだ、記事執筆の模索中でしたから、必要な情報をきちんと記事中に盛り込めていない、という自覚があります。特に、上の DAGMAR 理論は、本当は紹介したかったのですが、固いのを嫌ったせいもあり割愛したものです。

そういう意味では、amigoさんのご指摘はそのとおりです。


【amigoさんからのお返事】

「何だか訳の分からない広告」という例として「桃の天然水」と「パルコ」が出されていたと思うのですが、パルコの広告について

>実はきちんとしたメッセージが盛り込まれていたことを理解している業界人は少な

とありましたが、業界人にでさえ到達していないようなメッセージというものが果たしてメッセージと言えるのでしょうか?(揚げ足取りのようですいません)ただし、「パルコ」はファッション産業であり、ごく一部の先端層にメッセージが到達すれば良いと考えれば、それでも評価できると考えて良いのかもしれませんね。

しかし一方、「桃の天然水」の場合は、フツーの人達(主に若者)に広く到達させたい訳ですよね。
そこで、この「メッセージ」という事についてなんですが、森さんは、例えば「ももてん、ももてん」という例は知名促進だからOK、「ちょーみずみずしい桃のおいしさ!」という例なら、ブツの価値を理解促進させているからOK、でも、「ひゅー、ひゅー」は意味不明だからダメ!=これはブツの価値を伝えるきちんとしたメッセージではない。とおっしゃられているようで、そのあたりがどうも感覚的に腑に落ちなかったんです。

つまり、私がいいたいのは、広告というものは、当然ながら、映像情報+音声情報の合体でメッセージ化しているはずなので、「ひゅー、ひゅー」という音声だけを取り出してうんぬんするのではなく、あの15秒が、消費者の知覚の中に強く印象付けられ、固有のブツの価値イメージ(例えば“うきうき、楽しい、みずみずしい桃味の天然水”)を形成出来たとすれば、そのメッセージの要素の一部としての「ひゅー、ひゅー」も評価すべきではないかという点です。

〔前回申し上げたのは、もちろん、ブツの価値や差別性の否定ではなく、その伝え方として、今回の桃天のような生理刺激的アプローチ?(理性納得アプローチの逆の意味で使ってます)が間違っているとは言えないのではないか、という事です〕つまり、この商品が売れた原因は、まず1つに商品力(ネーミング・桃味の薄甘ウォーター・500PETの透明さ)にありますが、もう1つは、「潜在意識」を刺激し、“なんだか飲んで見たい感じじゃん”というニーズを作り出せた広告であり、その要素の1つに「ひゅー、ひゅー」もあるのではないだろうか/この言語としての無意味性だけを取り出して否定するのはおかしいのではないか、という事を言いたかったのです。

いずれにしても、あの広告に対する森さんの分析及びヒアリングされた結果がネガティブに対して、私の分析及び周囲への素人ヒアリングの結果はポジティブという真逆なスタンスな為、意見が違って当然かと思います。


【お返事】

>又、森さんを混乱させてしまうかも知れませんが、

いえ。どんどん、議論を仕掛けて下さい。
喧嘩メールはまずいですが、理解が深まる議論なら大歓迎です。

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>とありましたが、業界人にでさえ到達していないようなメッセージというものが
>果たしてメッセージと言えるのでしょうか?(揚げ足取りのようですいません)

はい。メッセージと言えます。
というより、業界人だから一般消費者よりもメッセージが到達していなければならない、ということは一切ありません。むしろ、業界人は仕事の目でメッセージを見ますから、一般消費者と感覚がずれることもままあるのです。

ここで「知っている業界人は少ない」と表現したのは、業界人がパルコの広告を見て、その主旨をわからずに、表面だけ (つまり、「何だか分からない広告が受けるんだ、よしオレもやろう」といった具合に) 真似をして「エセパルコ」広告が氾濫したことを指しているのです。

記事では、amigo さんのように注意深く読む方がいらっしゃらないだろう、と考えてそれらの背景を割愛したのです。むしろ、このように指摘して頂いて、こういう回答のチャンスができたのは嬉しく思っています。

>ただし、「パルコ」はファッション産業であり、ごく一部の先端層にメッセージ
>が到達すれば良いと考えれば、それでも評価できると考えて良いのかもしれませ

もちろん、こういう側面もあります。
ただ、当時のパルコの位置づけとターゲットを考えると、業界人を必要以上に意識していなかった、意識の外にしていた、と考える方が妥当でしょう。プレステージばりばりの海外デザイナー店舗ではなく、国内デザイナーを中心とした品揃えで、モードより身近なもの多かったですから。

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>印象付けられ、固有のブツの価値イメージ(例えば“うきうき、楽しい、みずみ
>ずしい桃味の天然水”)を形成出来たとすれば、そのメッセージの要素の一部と
>しての「ひゅー、ひゅー」も評価すべきではないかという点です。

amigoさんの主旨がよくわかりました。
そのとおりです。
イメージ形成がきっちりできれば、戦略として成立する場合があるのは、正しい議論です。イメージ広告を否定するつもりはまったくありません。
ただし、イメージ広告をやって良い市場環境と悪い市場環境があります。

そして、もうひとつ、ここで大事なのは「形成出来たとすれば」という前提条件です。この記事のポイントは「形成できていない」というところからスタートしています。つまり、(インタビュー技術の問題やサンプル数は別にして) ターゲットとなるべき生活者にそのイメージ形成ができていなかった、というのが問題の発端なのです。

「じゃあ、生理的言語がダメという書き方ではなく、『ヒューヒュー』がいけない、というクリエイティブの問題にすればよいのでないか」という疑問を持たれると思います。

そういう観点から見ると、この記事のポイントは2つの表に出している主旨と、1つの裏に隠れている主旨です。

●売れたのは事実である。しかし、その原因は生理的言語でない。知名度だ。そのメカニズムを忘れてはいけない (表)

●実際、「ヒューヒュー」という生理的言語はターゲットに到達していない。つまり、大前提である「形成出来たとすれば」という条件が成立していない (表)

●「桃の天然水」に限らず、現在の飲料市場は、生理的言語で売れる段階ではない。
その市場背景を読み間違えてはいけない (裏)

ここでいう、2番目のポイントを強調するならば、クリエイティブの問題をテーマとした記事になります。でも、元々の背景自体に問題があるので、クリエイティブをなおしたところで意味はない、という考え方から、その視点での記事は書きませんでした。

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さて、では、イメージ広告が意味があるステージと、そうでないステージはどう違うのか、というポイントですが、まずは、以下の URL をご参照下されば助かります。
特に、後半のパートです。

http://www.systrat.co.jp/theory/theory01pcorn.html

市場は、プロダクトコーンによる、規格、ベネフィット、エッセンスとその興味が移っていきます。amigoさんの言われる「生理的言語」はエッセンスに当たるわけです。
しかし、現在の飲料市場、特にニアウォーターに代表される女性/若年層向け飲料に関しては、エッセンスではなく、規格ステージなのです。もし、半歩先の戦略を取ったとしても、それは、やはりエッセンスを中心とした戦略ではなく、規格の次の段階であるベネフィット・ステージであるべきです。

平たい言葉で言えば、現在の飲料はイメージ訴求をしても「欲しくなる生活者が少ない」ということなのです。
そして、現実に (私のインタビューでは) 桃天のイメージ (生理的言語の意味するところ) をきちんと受け取った人がいなかった、という訳です。

なお、これが、バブルの時代では通用しました。あの頃は「感性」という言葉がもてはやされ、それが「おしゃれ」の代名詞のようになっていましたから、生理的言語の花盛りだったのです。飲料だけでなく、テレビもクルマもビールもみんな

>“なんだか飲んで見たい感じじゃん”

という感じで生活者は買っていったのです。

従って、

>言語としての無意味性だけを取り出して否定するのはおかしいのではないか、と
>いう事を言いたかったのです。

という amigo さんの主旨はたいへん良く分かりますが、「戦略」として意味をなさない以上、そして、実際に到達していない (と判断した) 以上、ああいった結論、つまり「モモテン」と商品名連呼型でも同じ、あるいはそれ以上の効果がある、となりました。


【amigoさんからのお返事】

何度もお付き合いいただき、ありがとうございます。
そう言いながら、更に意見を書いてしまう事をお許しください。

桃天をプロダクトコーンにあてはめると、

規格:ほんのり桃味のおいしい天然水

ベネフィット:飲むと、気持ちが、うきうき、晴れ晴れする感じ

エッセンス:みずみずしい爽快感

なんて感じでしょうか?

もし、こんな感じだとして、森さんの指摘された「ベネフィットを伝える段階である」という点を踏まえても、ベネフィット(飲むと、気持ちが、うきうき、晴れ晴れする感じ)を伝える為に、朋ちゃんの起用と、彼女の天真爛漫な表情・動きと、「ひゅーひゅー」という生理的言語という構造は、うまく機能しているんじゃないかなぁと、やっぱり思ってしまうのであります。
(森さんの調査結果を踏まえず、あくまでも個人的にですが)

森さんの思われる所の、“瞬発的に売れれば良しではなく、しっかりと価値を伝え、育てる売り方”の為には、例えば、朋ちゃんを使わず、無名の女の子が、「ほんのりおいしい桃味で、体も心もみずみずしくなれるんです。こんなの初めて。」なんて語ったりするCMのイメージなのでしょうか?
(あくまで例としてです)

もし、そうだとすると、既にある「サプリ(サプリメントウォーターで体に良さそう!)」や、「オープラス(中田が出ててカッコいいし、サプリ同様、体に良さそう!)」という、新しい価値を持ったニアウォーターに勝てるのでしょうか?

つまり、、「ほんのりおいしい桃味で、体も心もみずみずしくなれるんです。こんなの初めて。」という言語メッセージの方が、頭で考えれば「ひゅーひゅー」という生理言語よりもはるかにしっかりとベネフィットを伝えているように見えますが、前者の場合、メッセージがまともなだけに、頭を使わせてしまい、「なんだか色々言ってるけど、結局、桃味の水だろう?どうせ120円だすなら、サプリの方がおトクだな」なんて思わせてしまうんじゃないかな、などとも思ってしまうのです。

考えてみれば、「桃天」は、確かに、「ほんのり桃味の天然水」というのは、ありそうでなかったという点で新しいし、サプリが作り出したニアウォーター・ブームにも乗ったし、で、市場導入のタイミングは良かったのでしょうが、様々な健康成分を配合したサプリ等に比べると、単に「味」の新しさだけで、本当の意味でのNEWS性は低いわけですよね。

JTさんもそこを分かっていて、

「これは、結局、薄味の桃水だから、とりあえずこのブームに便乗して500PETで、とりあえずできるだけ多くの人に興味を持たせ、トライアルしてもらって、瞬発力でもいいからJTの飲料事業の存在を市場に知らしめよう。その後ファンになってもらい、定着するかどうかは賭けだね」

なんて視点に立ち、しっかりとベネフィットを説得・伝達するよりも、知名効果・記憶効果・インパクト効果のある「朋ちゃんヒューヒュー話題化作戦」を考えたのでは?なんて見方をしてしまうんです。

だって、桃天が売れた後で、サプリやらオープラスやらが、桃味をシリーズで出してきたら一発でつぶされる位の弱さを持った「規格&ベネフィット」ですからね。

メールだと何だかついつい長く書いてしまいます。
本当に、今回については、私の一方的な意見という事で、お返事は結構です。
お忙しい中、これ以上ご迷惑はかけられませんので。

大変良い勉強になりました。今後共、よろしくお願いします。

PS:実は私、結構あのアホな朋ちゃん、ファンなんです。(だからしつこい?なんて)

それぞれの方々へのご意見もお待ちしています。

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