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がんばれ!日の丸スマートフォン【スマートフォン】 2013.4.1

■NEC携帯電話事業撤退 沈みゆくガラケー

今年3月29日、とんでもないニュースが飛び込んできました。
「NEC携帯電話事業撤退 沈みゆくガラケー (朝日新聞デジタル)」と題された、450文字の短い記事です。

「NECが2013年度中にも携帯電話の自社生産を打ち切る方針を固めた。
開発部門もパソコン大手の中国レノボへの売却を目指しており、携帯電話事業から事実上撤退する。
国内の携帯メーカーは米アップルなど海外勢に押されて採算が悪化しており、「N」シリーズが人気だったNECも黒字化が見通せないと判断した」

かつてNECの携帯電話ファンだった私にとって、衝撃的なニュースです。
その2週間前にもこんな報道がありました。

「パナソニック、携帯事業も売却検討 台湾端末メーカーなど候補(SankeiBiz)」
こちらは約1000文字の中規模記事。

このときも、パナソニック製携帯電話を買ったことがある私にとってショックでしたが、

「ただ、事業売却では価格や雇用維持など、条件面での交渉も必要となる。
折り合いが付かなければ、売却しない可能性もある」

と記事にあるように、パナソニックの場合は売却しない可能性もあったので悠長に構えていました。そこに、NECの撤退報道で冷や水を浴びせかけられたような衝撃。

従来の携帯電話(本記事ではガラケーと呼びます)で、トップ3だったシャープ、パナソニック、NECがことごとく撃沈。
いったい、どうしてしまったのでしょうか。

「日本の電気業界が弱体化しているのは、森さんも知っているでしょう?
だから、こんなニュースは不思議でもありませんよ」

と友人。

いえいえ、そんな話ではありません。
だって、

「現在、もっとも元気がある業界はどこか?」

と聞かれたら、私は迷わずスマートフォンと答えますもの。

2012年度のスマートフォン出荷台数は2,898万台で前年比19.9%増。
スマートフォンの普及率は、2010年2月では3.5%だったのが約2年弱で急速な伸びをみせ、2012年では39.1%と約4割に迫っています。
これを「元気」と言わずして、何を元気というのか。

従来なら、

「元気のある成長産業があれば、参入企業のほとんどが恩恵を被る」

のが当然だったではありませんか。

以前、メルマガで紹介したように、日立が巨額の赤字を出したとき、役員はこう言っていました。

「総合電機メーカーは、時代ごとに伸びる分野を持っていたが、今は、そういうものが見あたらない(だから、赤字になった)」
ミニ大企業、日立の悲劇【日立製作所】

スマートフォンはまさにその「時代ごとに伸びる分野」ですよね。
だから、下手な手さえ打たなければ参入企業の売り上げが上がり、潤うことがあっても、ダメージを受けることはないのが従来の常識です。

「時代は変わるんですよ、森さん。
従来の常識が通用しない時代なんです、今は」

とまた友人。

なんでもかんでも、考えなしに

「時代が変わった」

だけの結論では何の意味もありません。

第一、従来の常識が通用しないといっても、「1+1は2でなくなった」訳ではないし、「お金を支払って、コンビニで商品を買う『常識』」もなくなった訳ではありません。
「変わった常識」と「変わっていない常識」があります。

コンサルタントは評論家ではなく実務家です。
「時代がどう変わったのか。
今までと何が変わって、何が変わらないのか。
そして、何故変わったのか」
が分からなければ、戦略の立てようがありません。

今回の記事では、それらをひも解きながらスマートフォンについて考えてみたいと思います。
スマートフォンとスマートフォンを巡る市場はまだまだ変化します。
だから、今回の記事は「スマートフォン・シリーズ第1弾」という感じでとらえてください。
数年後、いやもしかしたら1年後に第2弾、第3弾の記事を書くネタ(変化)が現れるかも知れません。

■スマートフォン元祖iPhone

いつものとおり、スマートフォンの現状を整理してみます。
冒頭に書いたように、日本でのスマートフォンの歴史はたった2年半しかありません。
正確にはiPhoneがスマートフォン元祖ですから、もうちょっと歴史は長いですが。
初代iPhoneのアメリカでの発売は2007年6月ですが、日本では2008年7月にiPhone 3Gとして初めて登場しました。
実は登場初期のiPhoneの評判は散々でした。

確かに、発売当日にソフトバンク表参道に 1,500 人超える行列が並び、iPhone 人気が沸騰したように報道されました。
しかし、行列が並んだのは最初だけ。
発売2週目には1/8にまで販売台数が下がったのですから当然です。
アップル信者の購入が一巡した後、行列はどこへやら。

発売から2ヶ月もたたずしてソフトバンクの店頭で、

「iPhoneあります」

の手書き看板が店頭に掲げられた店があちこちに見られたものです。
「冷やし中華はじめました」のようにむなしく見える。

もっとも、こういった「行列」にはなんらマーケティング情報としての価値はありません。長蛇の列ができたにも関わらず失速した商品はたくさんあるので、「行列=売れている」とは限らないからです。

ソニーPS3は発売日に長蛇の列ができたものの、そのあとは販売がすぐに伸び悩みました。
iPadも大行列でしたが、すぐに潤沢に買えるようになりました。

「日本ではソフトバンクが5月10日からiPadの予約を開始したその日、家電量販店では早朝から列ができた。
ビックカメラ有楽町店では朝5時から人が並び、10時開始の時点で108人の列ができた」

などと騒がれました。

ところが、裏話をすれば、iPadは新宿や渋谷では申込み客が少なく、すぐに購入できたとの記事が週刊アスキーで紹介されていました。

ましてや、マクドナルドのクォーターパウンダーのように、行列なんて幾らでも作れます。バイトに時給を払えばいいのですから。新聞やテレビで流してくれれば、1,000人分のバイト代なんて安いモノです。

当時のiPhone 3Gは文章のコピー&貼り付けすらできない有様でしたから、敬遠されるのも当然でしょう。
オペラ歌手の森公美子が「iPhoneは使いにくい」とブログで発言して、アップル信者たちから反感コメントが殺到、炎上し、謝罪に追い込まれたものです。

実は、携帯電話として使いにくかったのは信者たちが一番よく知っていたことでした。このことはiPhoneユーザーがガラケーとの2台持ちが多かったことから見ても分かります。

巷に出回っている調査のうち、おそらく最も正確であろうドコモの研究レポートで見ると、2010年2月の2台持ちユーザーは全体の7.3%。
それに対して、iPhoneユーザーの30.7%が2台持ち。
iPhoneだけでは携帯電話の役に立たなかったのは歴然としています。

私の周囲を見ても、当時、iPhoneを購入した友人の半分以上は2台持ちでしたし、iPhone購入したのでガラケーを解約してしまった(iPhoneだけにしてしまった)友人はかなり四苦八苦していたものです。

iPhoneがようやく日本で人気が出始めたのは2009年iPhone 3GSの登場からです。
ソフトバンクが「iPhone for everybodyキャンペーン」と銘打って実質ゼロ円にしてからでした。
その頃には、iPhone用アプリ数もかなり多くなり、iPhoneも安定してまともに使えるようになりました。コピー&貼り付けもできるようになりました。
その上、価格が下がることでハードルも下がる。

とはいえ、当時のiPhoneは日本での販売台数も累計約200万台。シェアにして2%足らず。97%がガラケーのままです。
この頃のメーカーシェアはシャープ23%、パナソニック17%、NECが13%。
海外メーカーといえば、せいぜいが、ソニーエリクソンが多少頑張っていた程度で、国産メーカーの独占状態でした(ソニエリはスウェーデンの会社です)。
シェア2%のiPhoneもその「その他大勢」の一つに過ぎませんでした。

一方、その頃のアンドロイドもまだまだどころかスペックもお話にならない状態です。
アンドロイドはiPhone登場の1年後の2009年7月にドコモが初めて市場に投入したものの、まったく売れず。

それもそのハズ。フリーズは多発するわ、今以上に電池が持たないわ、文字のコピー&貼り付けもまともにできないわ。
極めつけは、ガラケーなら当たり前の「フタを閉じたら通話が自動的に切れる」機能がないため、ふと気がつくと通話しっぱなし状態。電話料金がとんでもない高額になっていたなんて笑えない話も出てくる始末。

とてもとても、商品として売れる状態ではありませんでした。
アンドロイドはマニア以外、手を出さなかったのが当時の状況です。
ちなみに、文字のコピー&貼り付けができなかったのは、アンドロイドOSの仕様であってハードの問題ではありません。

ようやく、商品としてカタチになったのがiPhoneでは2009年のiPhone3GS、アンドロイドでは2011年春モデルからだったのです。
このころから2台持ちのユーザーが少なくなり、1台でなんとか携帯電話の役目をこなすことが出来るようになります。

【以下、小見出しと最初の段落のみをご紹介します】

■普及率−実感と数値の差

さて、スマートフォンが日本でブレイクしたのは2011年春にドコモが一気にラインナップを拡大した年です。
ドコモは2011年度中に20機種のスマートフォンを投入すること宣言。

結果、春モデルとして4機種、夏モデル・秋モデルとして10機種、秋・冬モデルとして2012年3月までに25機種、合計39機種も投入したのでした。
まさに怒濤の新機種ラッシュ。

■急激な成長曲線がアダになる

さて、こうやってみるとスマートフォンは異常なスピードで普及したことがわかります。
大切なので何回も言いますが、たった2年半で10倍以上の40%にまで到達したのがスマートフォンです。
私はこんなに普及スピードが速い商品を見たことがありません。

巷では「スマートフォンの普及がすごい」とは言いますが「どれだけすごいのか」をきちんと説明したニュースもネット記事もありません。

■国産メーカーを締め付けた原因

ここからが本題です。
急激な普及スピードは国産スマートフォンメーカーに開発をする時間的余裕を与えなかったのです。
これが後々、国産メーカーの首を絞める元凶となりました。
ドコモが意識したのかしなかったのかは分かりませんが、「結果的に」急速なスマートフォン普及策が、ドコモグループともいえる国産通信機器メーカーを窮地に追いやったのでした。

■消費者を見誤った国産メーカー

もうひとつ、この時期で大切なことがあります。
国産スマートフォンが苦戦したのは、サムスンやLGは世界中で売れているので、CPUなどの部品を調達するのが容易だったのに対して、国産メーカーは不利だったという説があります。
確かに、ウソではないでしょう。

■2012年夏は熱かった…スマホが

スペックが高いS2のヒットに気がついたのでしょう。国産メーカーも2012年モデルからは表面上のスペックは良い勝負になってきました。海外製の機種に大きな進化がなくて、改良程度の進歩だったのに対して、国産機が大幅にスペックを上げてきたので差が縮まりました。

それまで韓国勢に押され気味の国産機種に一気に注目が注がれました。
ハイスペックの代表だったサムスンのギャラクシーS3は、海外でクアッドコアCPUだったので注目を浴びたものの、日本国内では通信の関係でデュアルコアCPUにスペックダウン。国産機種でクアッドコアを採用したモデルが登場したのですから形勢逆転です。

■キャッチフレーズクイズ

マーケティングの話に戻しましょう。
それでは、これからどうしたら良いのか。
2013年の春モデルではようやくまともな国産機種が増えてきました。
ELUGA X P-02E(パナソニック)、AQUOS PHONE ZETA SH-02E、同EX SH-04E(シャープ)がその筆頭です。

■成長期にすべきことを考えれば次の一手が分かる

普通なら「ね?だから、コンセプトをきちんと考えましょう」という提案になるのですが、実は、これでいいのです。
ドコモが意識しているかどうかは別にして、どの機種がどのキャッチコピーなのかが分からなくてもいい。
成長期特有の成功戦略だからです。

■スマートフォン記事、第2章、第3章

スマートフォンを取り巻く環境は日々変化しています。
最近では、7インチモデルが一気に伸びてきています。ちょうど文庫本の大きさなので、通話はガラケー、電子書籍やネットは7インチモデルと組み合わせる人が増えてきています。

世界シェア第一位のサムスンが6インチのスマートフォンを準備しています。7インチでは通話ができないモデルが多いのに対して、6インチで通話もネット閲覧もすべてまかなおうとする。

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